
シニアライター釜島辺の「求職体験記」読者編③ 介護Uターンの元教師(下)
母親の就寝後に深夜のコンビニバイトをやろうと決意した中野智子さん(仮名)は思いのほかすんなりと採用された。ところが、その研修が始まった途端、家族もろとも新型コロナウイルスに感染してしまう。ようやく研修に復帰したが、すぐさま深夜シフトに組み込まれ、聞くも涙、語るも涙の悪戦苦闘が続く。稼ぐため、還暦過ぎの体と頭をフル回転させて懸命に働いているのだ。

不安が寄せては返す波のように
駆け足のコンビニ研修
「母の寝ている間なら働けます」「いつから来れますか?」「明日からでも。でも、週末から1週間旅行に行きます」「いいですよー」
こんなにゆるい面接なのにあっさり決まった。「しばらくお試し期間がいるのでは?」「私がどんな人間なのかも、役に立つのかもわからないだろうに」……。中野さんの心配をよそに、即決採用だったと後で聞いた。
研修は母の介護の手が空く午後2時から4時までの2時間。初日はビデオで業務内容と手順を視聴し、その後すぐに従業員と一緒の実地研修に移り、トイレ掃除、続いてレジスターの前にはりつき、レジ打ちの仕方を体得する。2日目もひたすらレジ打ちだ。そして、次の日も……。
研修が続くなか、小学校の教え子の結婚式と親戚の葬式に参列するため、中野さんは久しぶりの三陸へ向かった。懐かしい太平洋の海原が広がる第2の故郷だ。束の間の旅を「せっかくだから」と帰りがけに東京に立ち寄り、娘や息子、孫の顔を見て心の充電をしてから帰省した。
コロナ感染
「さあ明日から研修再開」と思っていたら、なんと家族が新型コロナウイルスに感染し、中野さんも濃厚接触者となって研修どころではなく、自宅待機するはめに。
「コロナには絶対うつされないでくださいよ」とコンビニのオーナーからきつく申し渡されていたにも関わらず自身も発症。研修不能の状態が10日間続き、我ながら「ひどい求職者だなあ」とため息をつく。
びくびくしながらオーナーに連絡すると、案の定、先方はしびれを切らしていたのか、いきなり深夜2時から朝6時までの研修に再突入。ベテラン従業員1人で死守するコンビニでつきっきりのマンツーマン指導が待っていた。しかも曜日ごとに異なる仕事があるため、研修は2週にわたり、1日おきに数回行われた。

第二の人生に思い切ってジャンプ!
恐怖の深夜勤務
そんなこんなの駆け足研修が終わり、いきなり1人勤務でデビューしたのだが、無謀だったのかもしれない。
多岐にわたるコンビニ業務は座学のようなマニュアルですべて対応できるわけではなく、個々の事案が発生した時、先輩から教わって初めて覚えるものだ。器具の洗浄や掃除、商品の入荷、棚出しなど、担当作業は一通り教えてもらったが、それはすべて順調に抜かりなくできた場合の手順であって、突発的な出来事や、失敗後のリカバリー方法までは教えられていない。
レジ打ちも商品のお買い上げだけではない。公共料金の支払い、インターネット商品の売買、チケット予約、宅配便、バスの乗車券、切手や葉書の扱いも、それぞれの対応の仕方がある。「業務が多すぎ~!」と叫びたくなった。
四苦八苦しながらレジスターと格闘しても解決するわけではなく、客に「ごめんなさい」と何度頭を下げたことか。恥を忍んで「これ、どうしたらいいんですか?」と客にSOSを出したこともある。実は、それで解決することが多く、しみじみと思った。「親切だなあ。ありがたいなあ」
招かれざる客
中野さんが働くコンビニは地方の街はずれにあり、深夜に招かれざる客の来訪がある。
羽虫やハエやガの飛来はもちろん、ムカデ、トカゲ、ヤモリも顔を出す。雨が降れば必ずカエルがピョンとはねてやってくる。道路を挟んだ川からイモリが連日現れ、入り口マットの中央に鎮座していたことも。流し台でガザガザ動き回るムカデには手を出せず、「屈強なお客さんの来訪」を心待ちにするしかすべはなかった。
不気味なのは静寂の店内に響く音。冷蔵設備で囲まれているため機械音が鳴り続け、カタッ、ガタンと自動的にスイッチが入る音にドキッ。強盗事件のニュースを見たあと、フードをかぶった若者の集団が来た時には、さすがに懸命のビジネススマイルも引きつったのだった。
グッと我慢の日々
もっとも、深夜は客が少ないので、困惑事案の発生は昼間ほど多くはない。ところが、人手不足の影響で、中野さんは午前6時から9時までの応援勤務を命じられた。社会が動き始める時間帯だ。「こんどは何が起こるのだろう?」。不安な朝を迎えた。
朝日が昇ると同時に、客が次々押し寄せる。案の定、それに応じて困惑事案があれこれ発生する。そのたびに「どうしよう」とパニックになり、先輩店員を呼んで「すみません。これはどうしたらいいですか?」と教えを乞う。それがけっこうつらい。決まって「えー、知らないの?」と言われ、顔をまじまじ見られてしまうからだ。

気持ちだけは明るくいこう!
自分がみじめだった。屈辱だった。ほんの少し前までは教師として「教える」ことが生業だったのだ。クラスの子どもたちの学ぶ姿に励まされ、彼らの眼差しに支えられて充実した日々を送ってきた。それが今はコンビニと言う異空間で制服姿の自分が独りぼっちで右往左往している。「教わってないんです!」と言い返したいのをグッと我慢しながら……。
はるか東北の地では、東日本大震災から12年の歳月を経て新しい春を迎えた。苦難の3・11を体験した教え子たちが成人し、社会に一歩を踏み出して懸命に生きている。「私だって負けられない」。そう思いながら歯を食いしばる中野さんは今日もコンビニに立つ。
これで一連の「求職体験記」は幕を閉じます。かつてのメーデー風にメッセージを送ります。「すべての求職者の皆さん、ともに頑張りましょう!」
【まとめ、写真・釜島辺(かましまへん)】