シニアライター釜島辺の「求職体験記」読者編①アルコール依存から警備員へ

 80歳の女性から貴重な体験談が寄せられた。20代の頃にはテレビの子ども向け番組にレギュラー出演し、その後はフリーで美術関係の仕事を続けている。「なんとかなるさ」がモットーの夫だったが、会社を定年退職した途端、アルコール依存症になってしまった。「これはまずい」と思った彼女がしたことは……。

 以下、ご本人である浜田幸代さん(仮名)が試みた「夫再生術」を自身の言葉で報告する。

傘寿カップル

 大学で知り合った私たちは25歳で結婚。もう金婚式は5年前に済ませた傘寿(80歳)カップルでございます。新婚は東京の下町にある夫の実家でスタート。土地管理業と自然菜園で生計を立てていた家だから夫も金銭感覚は薄い人。彼は便利なことに疑念を抱くたちで、たとえば洗濯機。洗浄効果を自分の目で確認できない全自動を信用しません。だから結婚55年で現在4台目の二槽式を使っています。とにかく頑固なアナログ人間です。

お酒が好き

 夫は働くことが大好きで、広告代理店に定年まで勤め、日本国内に限らずアフリカなどの開発途上国を飛び回っていたの。食べることも好きで料理も得意。義母が自宅で学生寮を営んでいらしたので、彼も学生の食事作りを手伝って育ちました。私たちの結婚初日は彼が天ぷらを揚げたのよ。その後も休日は必ず厨房に立ち、正月は義母と彼が一緒におせち料理を作るので、私には出番はなかったのです。

家計が窮地に

 貯金感覚は夫婦ともに希薄。よって貯金ゼロ。自分は趣味を生かした仕事をマイペースで続けながら老境に突入しました。でも彼は退職してからアルコールへの依存度が一気に上昇。若い頃にはまっていた外国のテレビ料理番組で、ワイン片手に料理する俳優を「カッコいい!」とマネしているうち、どうやら自分もその気になっちゃったみたい。勤め人の頃から、お酒は同僚とよく飲み、私も好きな方だからお付き合いしたけど、まさか酒浸りになってしまうとは想定外でしたね。

仕事を探す

 そんなことだから退職金は使い果たし、リタイアから3年で家計が窮地に陥ってしまいました。「好きなことして、夜露をしのげればいいよ」という彼のお坊ちゃま性格が災いしたのね。さすがに私も夫に言いました。「働いて!」と。そこで夫はハローワークに3回通い、そこで見つけた仕事が警備員でした。

80歳で泊まり勤務

 それから10数年。私たちは80歳の大台に乗りました。生活費の柱は年金だけど、夫は今も高校の現役警備員です。週3、4回は午前中から翌朝までの24時間勤務で、今年も元日から午前4時起きで出勤し、3日の昼に帰宅し、4日も午前4時起きで出かけました。私もどんなに朝が早くても必ず玄関で見送って職場で食べるおやつを渡しています。時給は最低賃金かしら。月に160時間余り働いて、月収17~18万円。そのうち10万円を家計費として現金できっちり入れてくれますよ。ちなみに我が家の経済ルールは独立採算制で、内容によっては折半あり。外食は誘った方が払うことにしています。

警備とカラオケ

 夫は警備の仕事以外の決まり事として、コロナ禍であろうと週2回、昼間から夕方までカラオケスナックに出かけています。〝カラ友〟は全員リタイア組で、元の職業は互いに気にしないようだけど、自社ビル管理、不動産の人もいて、ワインとグルメに詳しい元国際線パーサーの方と気が合うみたい。20年来、スモークハムを10日間かけて8キロ作っているので、そのパーサーがいる日に「差し入れ」と称して1本(1キロ)持っていく。すると、「二人三脚ハム」とおだてられて、「奥さんもカラオケに連れてくれば?」と言われるらしいわ。でも夫の唯一の楽しみの領域はおかしたくないし、カラオケは嫌いだから行きません。

高齢社会ニッポン

体力が続く限り

 夫は勤め先の学校でも信頼されているようで、プランターで栽培しているダイコンの間引きを頼まれたり、創立記念の紅白饅頭をもらってきたりしています。家計のサポートだけでなく、仕事をまじめにこなし、趣味でカラ友もできたのだから、体力が続く限りテキトーに励ましてまだまだ働いてもらうわ。ともに傘寿(80歳)を迎えましたが、私は夫をまだまだおだてて仕事へ向かわせているのです。「さあ、頑張って行ってらっしゃい!」

【まとめ、写真・釜島辺(かましまへん)】

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