
ホンダが消える 7) アシモは今、どこを歩いている
先日、人間型ロボット研究で第一人者の大学教授が開いた講座に参加しました。ロボットが人間と同じように2本足で立ち、歩き回る技術の難しさを説明しながら、世界で初めて駆け足で移動するレベルに到達したホンダの「アシモ」を絶賛していました。
1996年にホンダが二足歩行ロボット「P2」を発表した時は世界の研究者に衝撃を与えたそうです。ホンダはロボット関連の学会に参加しても研究結果を発表をせず水面下で10年間研究していたそうで、それだけにロボット研究者の想像を超えた安定した二足歩行に驚き、研究者の皆さんは二足歩行ロボットの可能性を確信できたと言います。ただ、ホンダが最近のロボット研究の進捗状況について全く発表しないのが「とても残念だ」と嘆いていました。ホンダが抱える莫大な研究成果が宝の山に映っているようです。
人間型ロボットなどの研究開発は1960年代から本格化して日本が先行していましたが、米国で軍事利用を目的にしたペンタゴンやグーグルなどが資金力に物言わせて日本を抜き去り、今は巧みな資金集めにも定評がある米国のボストン・ダイナミクスが最先端を走っています。同教授によると「対抗できる実力を持つのはホンダぐらい。世界最高水準のレベルの開発内容を知りたいですね」と期待していました。
ホンダは1986年に二足歩行ロボットの初期モデル「E0」の研究開発を皮切りに1996年12月に世界で初めての人間型ロボット「P2」を発表しました。自動車メーカーが開発に成功したこともあって世界的なニュースになりました。翌年の97年に「P3」、そして2000年に「アシモ」が登場。スポットライトを浴びて歩行する姿はまさにクールでした。当初は歩行を制御する通信ネットワークの設置などにかなりの時間が必要で、颯爽と歩くアシモの舞台裏は相当大変だったそうです。「各方面からアシモが招待されるのですが、歩行できるように機器などをセットする手間が多く、気軽に行けなかったです」と担当者は苦笑していたほどです。
2007年にはホンダ本社2階のカフェでコーヒーを運ぶサービスを演じるまでに進化します。私もアシモがコーヒーを運んでくれるサービスを体験しました。緊張して少しぎこちない動きを見ながら学生時代にアルバイトした頃を思い出したものです。ちなみにアシモが登場した当時の吉野浩行社長が「今後、人間のように工場で作業するのか」と聞かれた時、思わず「アシモにそんなことをさせるか」と答えていました。それだけホンダが渾身を込めて開発した証と理解しています。
アシモはなぜ開発されたのか。ホンダの公式ホームページでは、「『技術は人のために』という創業以来の企業精神のもと、新しい価値の創造や技術の進化に挑戦しています」と説明します。自動車と同じように移動し、人間とのコミュニケーションを交わしながら社会のなかでどう役に立ち、生活の質の向上などに貢献するのかということなのでしょうか。
開発の狙いで見逃せないとても重要な視点がもうひとつあったようです。実は私はもう20年ほど前ですがホンダの従業員研修で講師として参加し、F1やアシモなどを例にホンダ経営の個性や技術開発について外部からどう見えるかを話したことがあります。お昼休みの時、現場責任者クラスの方が寄ってきて声を掛けられました。「アシモを開発するきっかけにいろんな解説があるけれど、ホンダの従業員や部品メーカーが一緒に自動車以外にどんなものを造れるのか、自分たちが作っているものがどう社会に役立つのかを体感したかったことが最初にあった」と現場の視点から解説してくれました。
自動車メーカーは3〜5万点ともいわれる部品を組み立てて安全に人間を運ぶ機械です。トヨタ自動車、日産自動車、ホンダなど自動車メーカーは著名ブランドとして注目を集めますが、実態は鉄鋼を成形、溶接した車体の骨組みに部品メーカーから購入した機能製品を組み付けてクルマに仕上げるだけ。別名、完成車メーカーと呼ばれる所以です。車体デザイン、走行性能など基本設計に責務を負い、自社のブランドを支えているわけですが、操縦安定性や無故障などの信頼性は、クルマ全ての性能を決める部品メーカーの力がなければ達成できません。
高い精度の部品を大量生産できる製造業としての総合力を自動車以外に役立ててみたいーーそんな思いを完成車を組み立てるホンダと取引する部品メーカーが共有し、アシモを開発する原動力が生まれたのでした。人間型ロボットは手塚治虫さんが制作したアニメの鉄腕アトムに代表されるように日本独特の機械とのインターフェースを表しています。自動車工場で車体溶接などで活躍する溶接ロボットに名前をつけて同僚のように大事にメンテナンスしていることはよく知られています。
だからこそアシモも人間社会で一緒に暮らすロボットに成長して欲しいとの思いが込められているようです。「将来はどんな役割を果たすかって?介護など力仕事が必要な場面で手助けできるようになればうれしい。機械だからって無味乾燥な動きで良いなんて思わない。安心して身を任せる優しい動きがちゃんとできるロボットにしたい」。その方はそんな夢を語っていました。
アシモは2020年10月、誕生から20周年を迎えました。ホンダは20周年スペシャルサイトを開設しており、「生活の中で人の役に立ちたい、という想いから始まったロボティクス研究。その研究から生まれたASIMOは、これまで多くの国を訪れ、たくさんの人の笑顔と出会ってきました。20年間の感謝を込めて、これまでのASIMOの歩みを振り返ります」と挨拶しています。どうもアシモの開発に一区切りをつけたようです。アシモが歩いた距離は7,900キロを超え、訪れた国は25か国を数えます。アシモは日本を代表するロボットキャラクターとして世界での知名度は抜群です。公式サイトによると、今後は歩行支援や高所調査など介護や危険な仕事を手助けするロボット開発に注力するとありますから、20年ほど前に教えてもらった現場の思いがしっかりと反映しているようで、公式サイトを見てうれしかったです。
ただ、残念な思いはあります。世界で初めて人間型ロボットの歩行、駆け足を実現した技術と部品生産能力を基盤にロボットと人間が共生できる社会に挑んで欲しい。
ホンダには自分の夢を持ち「この会社で実現できないか」と考えて、会社を選んだ技術者が多いはず。F1(フォーミュラワン)などレースの世界でクルマ技術を極める緊張感を楽しむ人もいれば、自動車メーカーによる航空機開発に取り組み、翼の上にジェットエンジンを搭載したユニークなホンダジェットの事業化に成功した人もいます。第一級のロボット研究者が羨ましがるほど技術と研究成果で世界のトップに立つホンダなら、いえいえホンダだからこそ事業化が難しいといわれる人間型ロボットの未来を描いて欲しい。
人間型ロボットは世界で注目を浴びています。ロボット研究の最先端に立つボストン・ダイナミクスは多足ロボットなどが主力でしたが、最近は人間型ロボットの開発に注力しています。直近の2021年8月21日、テスラやスペースXを創業し、火星探査旅行を計画するイーロン・マスクさんが人型ロボットの開発・実用化する計画を発表しました。「退屈かつ反復的で危険な仕事に対応する見通し」と述べたそうですが、実際に発売されるかどうかや価格については明言していません。
お掃除ロボットなどが生活に定着し始めてきたが、人間型ロボットが私たちの生活の中でどこまで貢献できるかはまだ未知数だそうです。そして今後も進化を続けるためにはかなりの時間と資金が必要で、国の予算を投じる軍事や原発事故など危険な仕事以外で多くは望めないといわれています。しかし、まだまだ近未来の話といわれたEVを実現化したイーロン・マスクさんが人間型ロボットに進出する計画を発表したのです。「不可能といわれたことを可能にした人が人間型ロボットに挑戦するのだから、これから何かが変わるのかもしれない」とあるロボット研究者は期待と不安が半々の表情を見せました。
ホンダは昨年秋、電気自動車「Honda e」を発売し、EVと社会の新しい共存を提案しました。そして今年4月に就任した三部敏弘社長は全ての新車をEVへ切り替えると表明しました。でも、それはイーロン・マスクが切り拓いたEV事業で追撃する立場です。
それならといっては何ですが、イーロン・マスクがこれから挑戦する人間型ロボットで優位に立つホンダがまだ誰もできていないロボットと人間の共生社会を創造することができませんか。見返してやりたいと思いませんか。ホンダの技術の強さは夢を追うことです。トヨタのように組織で研究開発する会社では生まれない強さです。個人の夢と力に頼ることで敗れることもあったでしょうが、アシモの世界では十分に勝てます。アシモをゴジラ、ウルトラマンに続く日本が生んだ夢のキャラクターとして輝く日が必ず訪れます。アシモは今、疾走に向けて準備体操しているはずです。