
ホンダが消える 2 クルマも技術も現れては、また消える
ホンダの有力車種を相次いで消えていきます。最高級セダン「レジェンド」、高級セダン「インスパイア」、かつての大ヒット車「オデッセイ」と続き、最も驚いたのは燃料電池車「クラリティ」でした。2021年4月に就任した三部敏弘社長は2040年までにエンジン車の新車販売をやめて電気自動車(EV)など走行時に二酸化炭素(CO2)を出さない車だけにすることを公表しています。ガソリン車の「レジェンド」「オデッセイ」の生産中止は脱炭素の一環です。レジェンドやオデッセイ(縦置き5気筒エンジンの初代インスパイアが個人的に好きでした)が消えるのは寂しいですがクルマの人気は栄枯盛衰が宿命ですし、ホンダの場合はクルマの使い捨てが他社よりも激しい会社ですから。でも、なぜ脱炭素の切り札とされたクラリティが生産中止になるのでしょうか?
この素朴な疑問はホンダの技術戦略そのものに対する疑問につながります。「ホンダならでは」という形容詞で語られ、その個性が多くのファンを獲得してきました。しかし、その実像は果敢に技術開発に取り組むものの、その成果は他社との差別化につながっていない印象です。厳しい見方と思われるかもしれませんが長期的な視点の開発が維持できない腰砕けで終わっている印象が強いです。とりわけ近年は「売れるクルマを開発する」に目を奪われ、画期的な排ガス技術としてCVCCエンジンを開発し、世界から高い評価を集めたホンダ本来の優れた技術力がますます衰退しています。有力車種の生産中止は、これまで培ったホンダの技術財産が残像としてよみがえり、次第に消えていく象徴に映ります。なぜなら主力車種と画期的な技術は常に表裏一体で開発されてきた歴史です。「電気製品は故障しても人は死なないが、車の故障は絶対に許されない」と言われ、自動車技術は信頼性を求められ、新技術の採用では徹底的に「安全・安心」を追求するのが常識ですから。
カーボンニュートラルが主力車種を整理整頓する大きな誘因だとは思えません。答は簡単、ホンダの開発戦略は市場変化とシンクロ(同期)できていないからです。走る楽しさを重視したホンダはセダン系を中心に車の個性と優れた操縦安定性でファンを確実につかみ、ソニーと並ぶ日本の世界ブランドとして躍動しました。ホンダの開発陣はF1などレースの世界で競えるクルマが頂点に立つと信じ、走りを楽しめないSUVや小型車を心の底ではクルマとして認めていませんでした。「クルマはじゃじゃ馬ならしと同じ。扱いにくいのが楽しいんだ」。1980年代の開発担当役員の言葉です。1980年代に大ヒットし、ブームを巻き起こしたリッターカー「シティ」がありますが、当時の久米是志社長は「あれはクルマじゃない」とバッサリと切り捨てていました。こう言い切る久米社長を見てホンダって潔い自動車メーカーだなあと感心する一方、大ヒットするクルマを生産し売り続けているメーカー責任はどうなんっているんだと呆れたものです。
この強烈ともいえる自動車への思いが時代変化への乗り遅れが生じ、開発と販売の現場双方に遊離を招きます。日本に限らず世界の自動車市場は1990年代以降、セダンからSUVへ主役を移り、勢いは加速しています。今、ホンダで最も売れているのは「ヴェゼル」と「NーBOX」。1990年代からホンダ車の売れ筋は軽自動車やリッターカークラスが占めており、傑作車「フィット」も小型車。1990年代に大ブームを巻き起こした「オデッセイ」以外、2000ccクラスのヒットは見当たりません。以来、ホンダ社内では「ホンダは小型車のイメージで捉えられ、アコードやレジェンドなどで新しい消費者に訴求しようにも実現できていない」との声が絶えません。直近を見てもホンダの国内販売の7割は軽自動車と小型車が占めます。市場の変化に開発がシンクロできていない証拠のひとつです。ホンダの数少ないSUVであるヴェゼルは売り上げナンバーワンですが、ボディデザインが他社と似ているなどの声もあり、「売れるクルマ」を開発している証左といえます。
高級ワンボックスカーの先駆けであるオデッセイも開発よりも市場に引っ張られて誕生したクルマです。94年に発売され、経営不振に苦しんでいたホンダは息を吹き返します。もともとオデッセイは当時のミニバン、今の高級ワンボックスカーの市場創造を狙って開発したわけではありません。新車が全然売れないため、米国で人気を集めていたミニバンというワンボックスカーに近い車を想定して、本田技術研究所が上級セダン「アコード」のシャーシーの使ってミニバンに仕上げたものです。当時の川本信彦社長は車として評価せず「温泉カー」と皮肉ったほどです。結果は大外れ、ファミリー層をしっかりと捉えて最盛期の95年は約12万6000台売れ、川本社長は救われました。そのワンボックスカー市場は今、トヨタ自動車「アルファード」など高級化が進み、オデッセイは不振に陥っています。
変わる市場に合わせて経営戦略も変わります。ですから、レジェンドやオデッセイが消えるのはわかります。しかし、レジェンドやクラリティなどを通じて繰り返してきた技術開発の蓄積が消えるリスクを犯すのは理解できません。例えばレジェンドは1987年に国産車で初めてエアバッグを標準装備しました。エアバッグは1980年にダイムラー・ベンツが高級車Sクラスのオプションとして世界で初めて装備しました。そのエアバッグをホンダは日本の他社に先駆けて標準装備として量産できるレベルにまで実用化しました。
ホンダは1975年からエアバッグの研究開発に取り組んできました。開発成功までの試行錯誤はホンダの哲学そのものです。まさに創業7年目の社史そのものです。ホンダのホームページで紹介されていますから是非読んでみてください。”https://www.honda.co.jp/tech/auto/airbag/closeup/”
開発してきた小林三郎さんのお話を聞いたことがあります。エアバッグの技術説明を終えた後、エアバッグの実験車に乗り込み、危険ですから真似をしないでくださいと言いながら、「バッ」という爆音を発生させて衝突防止効果を実演してくれました。実際の実験は実車を何度も試験場で走行させて壁に衝突させます。思ったような数値が実現できるまで、新車を衝突、破壊する繰り返しです。「こんなにお金の無駄をして良いのか」と悩んだそうです。しかし、当時の本田技術研究所の川本信彦社長(1990年ホンダ社長に)は「こんなことで会社が潰れるか」と励まし続けました。小林さんが涙を流しながら「経営が苦しい時に新車を衝突させて壊す実験を黙って見守ってくれた経営陣の皆さんに感謝します」と話した時、ホンダの開発者魂が目の前で輝いていました。
レジェンドはエアバッグだけじゃないんです。2021年3月には世界初となる「レベル3」の自動運転機能を搭載しました。1985年に登場した初代レジェンドはホンダ車の中で最も高い価格帯でした。販売担当者はレジェンドを販売した契約書を作成する時には手が震えたという逸話があるほどです。しかし、高級車市場はトヨタや日産二社の独壇場で、ホンダは覚悟をしていたとはいえ苦戦しました。その後を見てもレジェンドは2012年に一度生産終了。3年後の15年にハイブリッド車(HV)として再登場しましたが、20年の販売台数は数百台だそうです。ホンダは経験不足だった高級車の設計・生産を通じて、ベンツなど欧州ブランドに負けぬノウハウを数多く体得したはずです。
生産中止で最も驚いたのが水素を燃料とする燃料電池車(FCV)「クラリティ」です。2016年に発売し、価格は783万円(税込み、リース専用)とかなり高額です。日本と米国で販売して世界累計台数は約1900台です。未来車として割り切って市場投入したはずですから、販売不振は中止の理由にはなりません。
FCVは韓国・現代自動車やトヨタ自動車も手がけています。トヨタは20年12月、新型FCV「ミライ」を投入しました。トヨタはハイブリッド車開発のフロントランナーですが、ハイブリッドはあくまでも段階的な技術で究極のゼロエミッション車はFCVのミライと位置付けて注力しています。ホンダは13年にFCV開発で米GMと提携し、17年にはGMとFCVなど向けの燃料電池システムを生産する合弁会社を設立しています。クラリティを生産中止してもGMとの提携は継続するとしていますが、わざわざ「クラリティ」ブランドを廃棄する理由が理解できません。
ホンダの三部敏宏社長は2021年6月23日の定時株主総会で「カーボンニュートラルに経営資源を集中させる」と表明しています。就任した4月には2040年までにエンジン車の新車販売をやめて電気自動車(EV)など走行時に二酸化炭素(CO2)を出さない車だけにすることを公表しています。
三部社長が描く戦略には全く異論がありません。しかし、目標は見えているとはいえ、これまで蓄積してきた優秀な技術をどう進化させるのかの道筋が見えません。三部社長は、EVやFCVをどんな会社でもそう簡単に作れるものではないと指摘しています。「今後開発する極秘の技術を見せるわけない!」との返答が待っているかもしれませんが、右往左往しながら変遷するホンダの技術開発戦略を何回も見ているだけに、額面通りに受け止められません。
それはハイブリッドエンジンの開発の経緯を見るとよくわかります。次回に続きます。