連載「会員制農園」を開始しました。プロの農家から指導を受けながら、農業体験を学びます。
貸し農園が東京近郊でブームになっているようです。あちこちで会員制の農園が開設されて、会員の新規募集をお知らせするポスターや新聞チラシを目にしています。つい最近、東京都農林水産部が「セミナー農園」という名称で広大な面積の農地を整備している工事を見ました。ある程度の広さの土地を借りて自分の手で土を触り、野菜のタネを巻き、手入れを繰り返して収穫する。最近のSDGsの広がりにぴったりと合っているのか、貸し農園の会員は子供連れの家族が中心に増えているようです。私は8年前から会員制農園に参加してプロの農家の指導を受けながら野菜を栽培、収穫しています。最初は新鮮な野菜を食べられると考えていましたが、実は野菜を栽培する一年間を通じて「日常の食生活とは何か」を日々教えられていることを知りました。
8年前、農園を始める動機は単純でした。東京近郊の農家が会員制農園を始めるとのチラシを偶然にも手にしたのです。木や花を育てるのは好きでしたが、自宅に野菜を育てるほどの庭はありませんし、本格的に育てる経験もありませんでした。募集要項を読むと、プロの農家が種まきから教えてくれるうえ、日々の水やりまで面倒みてくれるとあります。その頃は平日、会社へ出勤する身ですから野菜栽培で欠かせない日々の水やりなどの手間が省けます。週末に畑に行き、育ち具合を見たり、いつ収穫するのかに神経を使うだけで済みます。それが野菜栽培かと笑われそうですが東京に住んでいる限り、野菜栽培などとても無理と諦めていましたから、ダメもとで1年間挑んでみようと応募しました。
プロの農家は教え方もうまい
会員制農園を主催する農家さんは農業初心者に対する教え方がとても上手でした。スライドを使ってイラスト、写真、文章で教えてくれます。しかも種を蒔く間隔、深さは「指2本ですよ」とか「第二関節まで」とわかりやすい例を多用して説明してくれます。何よりも失敗しても「やり直しが効きます」と励ましてくれるから心強い。クワの入れ方、野菜の収穫方法なども腰の入れ方、足の位置と具体的に指摘します。プロにとって常識と思えることを初心者に伝えるのは難しいことです。「初心者でもこんなことを知らないの」と感じる質問にも嫌な顔ひとつしません。野菜初心者をどう育てるのか、増やしていくのか。そこから野菜の需要を増やしていく。このポイントを熟知するのが東京近郊のプロの農家にとって必要な資格なのかと感心しました。
教えてもらうこちらは8年間、栽培のイロハを教えてもらっています。やはりアマチュアの甘えがあるようです。昨年と同じ農作業を繰り返しているにもかかわらず、肝心なポイントがうまく作業できません。ほぼ忘れています。例えばトマトの側枝取り。脇芽です。トマトがそれなりに生長すると、幹となる枝に側枝も芽生えてきます。側枝が増えると、生長に必要な養分吸収が分散するほか、枝が混み合い育ちも悪くなります。その側枝は素人目には幹から伸びる枝の成長にしかみえない。さらに最も問題のは、自分勝手な憐憫と食欲です。「せっかくここまで成長したのだから、切るのは可哀想。実るトマトも増えるはず」という思い入れです。蒔いた種から芽生え、成長した苗を間引くのは辛い作業です。間引くって言葉はきついですよ。
私たちは毎日、野菜を食べています。しかし、食べているものがどのように育っているのか、どのくらいの手間がかかっているのかをほとんど知りません。八百屋さんかスーパーに行けば、欲しい野菜が棚に並んでいます。野菜や果物を通じて四季を感じると言われましたが、今ではビニールハウスなど生産技術の向上で季節に関わらず食べたい野菜のほとんどが手に入ります。たくさんの種類の野菜を食べながら、四季を楽しむ生活から遠ざかっているのが実態です。しかも、自分が畑で栽培する手間や時間を考えたら、八百屋さんで買った方が早く、割安な時もあります。それを農家さんに話すと、「それを言っちゃあ、おしまいです」と苦笑していました。
4坪の畑でも汗だくだくの農作業に
花や木を育てる時も天気予報に目配りはします。東北の実家に帰った時など長期にわたって家を離れる際に心配するのは、プランターなどに植えた花や木の水やりですから。種まき、肥料や剪定など花が咲くまでの手順は楽しいのですが、プランターの栽培でも結構な労力を費やします。私の場合、貸し農園の畑は4坪の広さです。畑でパッと見ると「こんなもんかな」と感じますが、実際の作業になると広い!、広い!種を蒔く時に4坪の広さを改めて実感します。5月、6月に種まきや苗植えの作業をすると、汗だくだくです。水やりなど多くの作業の積み重ねがあって、ようやく野菜を食べることができるのです。改めてプロ農家の仕事の凄さを思い知らされます。
東京都の「セミナー農園」は、貸し農園とはちょっと違うようです。都内の農地を維持するとともに、高齢者の活用という目的で「シニア農園」と「こども農園」の向けが設定されています。シニア向けは50歳以上が対象で、広さは20平方メートル。年間の農園利用料は五万五千円。さすが東京都の事業だけに民間の貸し農園に比べると割安ですが、かなり広いです。利用料には農機具使用料が含まれているので、トラクターなどの機械を使わないと片手間ではできない広さです。個人の趣味というよりは、プロ意識に近い覚悟を持って農業に従事する人材育成を考えているようです。アマチュア農家の裾野が広がっていくのでしょう。
小規模とはいえ野菜栽培を始めて最初に感動するのは、野菜の生長力です。晴天、曇天、雨天、強風、台風、時には霜や雪も。天候は千差万別です。しかし、植物はどんな組み合わせの天候でも現実をしっかりと受け止め、芽として地上に現れて空に向かって伸びていきます。きゅうりやインゲンなどは日曜日に芽が出たかなと思っていたら、翌週の日曜日に畑を入るとしっかりした体幹を感じるほどスッと立っています。1ヶ月も経たないうちに一丁前の姿になって実を増やしてきます。
単身赴任していた時、自宅に戻った際に会う子供の体格や顔つきの変化に驚くのと似ています。先日、近所の貸し農園のそばを通ったら、ご夫婦が畑のフェンス越しに覗き込んで「ほら、向こうから二番目の場所だよ。思ったよりも生長しているだろう」と冬野菜の白菜の大きさを楽しそうに確認していました。野菜を育てていると、手間をかけた分だけしっかりと育ってくれます。「練習は嘘つかない」とよく言われますが、「野菜も嘘つかない」といつも思います。
もっとも生長力に脅かされる思いを持つ時があります。収穫期に入るとどんどん実がなり、もう止まらない。週末にしか畑に行けませんから、ほぼ1週間分の野菜を収穫して食べる繰り返しとなります。夏ならトマトやインゲン、ナスはかなりの量が実ります。家族の人数にもよりますが、毎日、食べないと収穫した野菜が減ったと実感できなくなります。畑を始めた頃は「野菜を食べるぞ」と意気込むのですが、野菜収穫のピーク時には「野菜に食べられている」と思うほど「おいしいのだから、食べてよ」と追い立てられている心境になります。
野菜を食べるよりも、食べられている感覚も
しかし、追い立てられるように食べていると、野菜の味というか、舌の鋭敏さが磨かれている感触を覚えます。同じキュウリを食べても、収穫した際に表面のとげに刺されたような痛さを忘れない間にサラダなどで食べると本当に感動します。
北海道の札幌で単身赴任していた時、近所に畑から直送した野菜を売るお店がありました。何も手を加えないで、そのまま食べてもおいしいことを知りました。一度、ゴボウをそのまま食べたことがあります。もちろん、土はきれいに洗い落としました。ガリッとかじると、甘いのです。北海道といえば、すぐにえび、かになど魚介類がおいしいと思われるでしょうが、実は野菜がもっとおいしいのです。「北海道は野菜がうまい」のです。
食べきれない野菜をどう食べるのか、これも貸し農園の醍醐味のひとつ
話をキュウリに戻します。キュウリは天候に恵まれれば、2、3日でスッと大きくなります。実っていたのを見落とすと、夕顔のように大きくなってようやく気づくことがあります。太鼓のバチのように大きくなったきゅうりをどう食べるか。あるいは冷蔵庫の野菜室に収まりきらない大量の野菜をどう食べれば良いのか。この悩みに出会って、本当の野菜栽培の楽しみを知りました。貸し農園だからこそ体験できる幸せの生活の始まりであり、醍醐味のひとつです。