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ベンツが濡れ手で粟!三菱、日野のトラック2社を傘下に、日本の製造業が衰退する寂しさに

 あえて、まず断っておきます。独メルセデス・ベンツが仕掛けた権謀術数と勘違いしているわけではありません。少しは狙っていたかなと邪推してしまう時もありますが、すべては日本側の事情が最大の敗因だと理解しています。

自らの経営の失敗が引き金とはいえ・・・

 日野自動車と三菱ふそうトラック・バス。世界でも有数の商用車メーカー2社がベンツの傘下に飲み込まれてしまいました。心底、勿体無い。日本の製造業にとって大事な宝です。自動車が基幹産業だからという理由だけではありません。ディーゼル・エンジン、車体設計、シャシーなどを顧客の要望に合わせて設計し、効率的に生産する。乗用車と違い、カスタムメイドで生産する技術と経験は、製造業の粋を集めて築き上げたものです。それを企業経営者の失敗、未来を見通す力の無さからみすみす手放してしまうのです。日本の製造業はこうして衰退するのか。寂しい思いだけが手元に残ります。

 もう40年も前の昔話から。日本のトラック・バスメーカーは1980年代、日野自動車、日産ディーゼル、三菱自動車、いすゞ自動車の4社体制が続いていました。それぞれ独自の強い個性があって、この4社がトラック・バスの開発・生産で切磋琢磨するエネルギーが日本の商用車を世界へ飛躍させる源だったと考えています。当時、新聞記者として取材していましたが、社長、技術者、営業担当者など皆さんの色合いが違っていて、とても楽しい思い出ばかりでした

日野は野武士、三菱は日本を背負う実直さ

 かなりざっくりですが、見比べてみます。日野といすゞは創業の母体が同じです。でも、日野は「野武士」と称されるほど技術力、営業力が強く、まさにトラック野郎を体現。ガンガン攻める勢いが日野を商用車トップに押し上げました。

 一方、いすゞは日本の自動車草創期から乗用車、商用車をリードした名門意識が強くすぎたせいか、技術力が高くても営業力が他社に劣る「お公家さん」。開発中の技術はどれもユニークで取材しておもしろく、個人的に大好きな会社でした。でも、稼ぐのが下手。結局は名車を輩出しながら細々と続けていた乗用車事業を断念せざるを得ませんでした。とても残念。

 日産ディーゼルは日産自動車のトラック・バス事業部門といった位置付け。実直なメーカーでしたが、親会社の日産と同様に販売が大の苦手。売り上げ台数を伸ばすため、新規顧客には「好きな金額を書いて」と白紙の伝票を渡したという逸話を聞いたこともありました。

 三菱自動車は発祥が三菱重工業ですから、乗用車も商用車も重厚そのもの。丈夫で長持ちが第一で、良いものを作ろうと努力しすぎて使い勝手は二の次になる時も。なにしろ、ブランド「ふそう」は中国が古来、日本を意味する「扶桑」が由来。戦前、三菱が新規事業の時、「扶桑」と命名したそうです。戦後も日本を背負い続ける三菱グループらしいです。

ボルボ、ベンツなどと合従連衡の時へ

 1980年代は日本の自動車が世界で大きな存在感を放ち、光り輝いた時でもありました。トラック・バスの4社も世界市場を駆け巡りましたが、生き残りに向けて乗用車同様、合従連衡を繰り返すことに。ベンツ、ボルボ、ルノー、スカニアなど欧州のトラックメーカーに米GMなどを交えて多くの提携が続きます。

 日産ディーゼルは1999年にルノーと資本提携した日産の下で経営再建しましたが、結局はボルボ傘下へ。2010年にブランド名「UD」を冠したUDトラックに生まれ変わります。2019年にはいすゞとボルボが提携したことでいすゞ傘下へ移りました。

 三菱自動車は1970年に三菱重工から自動車部門が独立して創業。「親会社の重工を見返す」との思いを秘めた社長らの悲願もあって急成長しますが、その無理が祟って2000年代にリコール隠しが発覚して経営危機に陥ります。

 頼りは当時、三菱と同じ歴史観を持ち、信頼できると信じたダイムラー・ベンツ。トラックは国内シェアトップの座を守り続けていたものの、そんな余裕はなく乗用車部門が息絶え絶えとなってダイムラー・ベンツと資本提携して乗り切ろうとしました。それでも乗用車の危機を持ち応えられず、なんの援助もなく存続できると思ったトラック・バス事業を2003年にダイムラーとの合弁会社「三菱ふそうトラック・バス」として分離。結局は2005年、ダイムラー・ベンツの連結子会社となります。

 当時、取材チームを指揮する立場としてダイムラーに手放す経緯を目撃していました。三菱グループが三菱自動車そのものを経営する意欲を失ったかに見えるほどでしたから、ダイムラー・ベンツの援助がなくても生き残れると思っていたのに、三菱ふそうをダイムラーの言いなりなって売却したかに見えたものでした。「もったいない」と何回、くり返したことか。

「もったいない」を繰り返しても、仕方がないけれど

 それから20年後、再び「もったいない」を口にするとは思いもしませんでした。エンジンの不正認証という自らの誤りが発端ですから、日野自動車を守る気はありません。しかし、三菱ふそうトラック・バスと経営統合して、ベンツの子会社であるダイムラートラックの傘下に入ることはないでしょう。

 傘下といっても、正確には親会社はこれまでの親会社のトヨタ自動車とダイムラートラックの折半出資会社です。トヨタと完全に縁を切るわけではありませんが、トヨタが日野を親会社としての愛情で接するとは思えません。これまでも結構、冷めていましたからね。冷静に待ち構えても「ダイムラーよろしく」との声が聞こえてくる気がします。

「もったいない」とぼやきを繰り返しても、もう日野も三菱も戻ってくるわけがありません。日本の優秀な技術と経験が遠い記憶の彼方に去っていくだけです。

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