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実録・産業史 12)トヨタは徳川家、エンジンは火縄銃 終焉を迎える創業家経営

 「トヨトミの野望」。5年前になるのかな、トヨタ自動車グループで密かなブームを呼んだ一冊が出版されました。ただし隠れ読みです。読んでも知らないふりをしないといけない。話題にする時は信じられる友人らと。「 この本を読んでいると知られたら大変なことになるので、トヨタ関係者は愛知県の書店では購入できず、アマゾンに注文して手に入れた人が続出しましたよ」。トヨタグループの親しい経営者は大笑いしながら、愛知県あるいは豊田市だけでクスッと笑いを取る地域限定のネタを教えてくれました。

この小説はトヨタの創業家一族がモデルと言われ、トヨタ自動車の豊田章男さんや奥田碩さんら現実の経営者が登場人物と二重写しになるように描写されています。下半身の話題も含めて表に出ないエピソードがふんだんに盛り込まれています。トヨタや自動車業界を知る人間からは苦笑を交えながらも、かなり実像に近いと評価されていました。

 一般には知られていないネタが多かったためか、日本経済新聞社や朝日新聞社などのトヨタ自動車担当が執筆したなどの噂が飛び交いしましたが、トヨタ自動車をしっかり取材した経験がある記者やジャーナリストなら知っているネタが大半を占めています。まあ、会社の同僚がモデルに使われていましたので、個人的には気持ちは良くありませんでしたが。「私ならもっと際どいネタも・・・」と言いたいところですが、つまらない知ったかぶりは趣味じゃないですし、今回の本論に合いませんのでスルーします。

豊田家の好き嫌いも人事に反映?

 小説の執筆のネタ元と思われる人物が「トヨタ自動車の75年史を見て欲しい。奥田碩社長の功績がバッサリと斬られている」と憤慨していました。確かにトヨタ自動車をここまで最強に育てた功績は奥田さんと考えるのは事実です。豊田章男社長の時代に入ってからは、いわゆる奥田さんの系譜につながる人物は遠ざけれており、豊田章男さんの前任社長である渡辺捷昭さんが2011年に会長に就任せず相談役に退けられる人事を聞いた時は「そこまでやるのか」とちょっと驚きました。

 直近に相次いだリコール問題などの責任を負うという理由だったようですが、奥田さんの拡大戦略を引き継いで2008年にはGMを抜いて初めてトヨタを世界一に押し上げた時の社長です。豊田家のはっきりした好き嫌いには大人気ないと思ったものです。奥田碩、渡辺捷昭の両人は豊田章男社長にとって目の上のたんこぶに映るのは分かりますが、両人を超える度量を見せてこそ社長の器の大きさを示すことができたと思ったものです。

 社長の意を受けた広報部も「今の広報は奥田時代の記者とはもう付き合いませんから」と言います。こちらが苦笑しちゃいます。まるで米国や中国の広報担当者のコメントを聞いているようでした。いろいろなエピソードをまだまだ続けることができますが、「トヨトミの野望」の続編が出版されていますので、そちらに譲ります。歴史は勝者に都合の良い事実で紡ぎます。トヨタ自動車の75年史が豊田家の75年史と描かれても不思議はありません。

 豊田章男社長は私と同世代です。そんな縁もあってトヨタでのサラリーマン生活を見聞きする機会が多くありました。よく披露される入社のエピソードがあります。父親の章一郎さんから特別扱いしないからと言われ、履歴書を提出し通常の入社手続きをして入社した、と。

 と言いますけれど、章男さんの履歴書を見て「これりゃダメだ」と言える人事担当者がいるわけないじゃないですか。一兵卒から入社した章男さんは生産管理、営業などを経験して将来の柱として期待するウェブサイト「GAZOO」のスタートにも携わります。GM との合弁会社「NUMMI」の副社長も経験しています。前回に書いた豊田達郎さんと似た歩みです。

社長は「持っている人」か「持っていない人」か

 取材対象を分析する時によくするのが「この人が社長になったら、会社をどう変えるか、当面の課題を解決できる力量と運を持っているか」を見極めることです。私は後輩らには「持っている人か、持っていない人か」と説明します。経営者としての潜在力・可能性はもちろん必要ですが、難局に直面した時に解決できる運を持っているかどうか、たまたま幸運に恵まれたとしても良いのです。結果オーライを得られる力量を兼ね備えているかどうか、社長としてのその後、そして会社の運命を左右すると考えています。

 結論から言えば、豊田章男さんは「持っていない人」です。社長への帝王学として重要な部門、GAZOOのような新規部門、中国などの海外部門を歩きますが、不運にもそれぞれの部署で難問が待ち構えていました。ホント不運だと思います。でも、会社を背負う経営者が「いやあ、運が悪かったよ」で済むわけがありません。

 「運も実力のうち」という迷言がありますが、40年間も多くの経営者の群像を見ていると、名言だと思います。最近テレビCMにレース用のワンピースを着て登場しますが、一生懸命だからこそパフォーマンスを演じて自身も含めて誇示するのかなと受け止めています。

 誤解しないでください、創業家出身の社長という理由だけでおかしいとは全く考えていません。多くの人の運命を背負う会社を率いる社長は長年かけて試験を受けて合格するプロセスが必要だと考えているだけです。創業家出身だからという理由だけで成功・失敗の実績を正しく評価されないとしたら、会社の未来にとって大きな経営リスクになります。とはいうものの、社長人事の決定過程は、最後は好きか嫌いか、将来も自分を大事に扱ってくれるかどうか、に付きます。

 社員から見たら理不尽と思うでしょうが、退く社長は自身への寂しい思いを捨てることができません。しかし、最終選考の過程までは一応多くの試練をくぐり抜けて天命を待ち受ける人材に絞られて欲しいですよね。

 豊田章男社長は競争の中で勝ち抜いてトップの座を獲得したわけではありません。創業者の喜一郎氏の孫、章一郎氏の長男です。豊田家のトヨタに対する株主保有率は数%なはずです。創業家の威光と正統性を後ろ盾に章一郎氏が「自分の目が黒いうちに長男を社長にしてくれ」と奥田碩さんに迫ったと聞いています。トヨタの社長人事は重要な取材ネタでしたので、創業家、そして側近の動きを見聞きしていると、まるで殿様の後継問題を見ているようでした。

トヨタは「徳川」に

トヨタ自動車の創業家を小説では「トヨトミ」に例えましたが、私には「徳川」の道を歩んでいるように思えます。家康は戦国時代を終息させた豊臣秀吉の跡を継いで全国を統治する幕藩体制を確立します。1639年から始まった鎖国政策は1854年の日米和親条約までの200年弱、世界史でも類がない平和な時代が続きます。武士が戦うのを忘れたぐらいですから。

 戦国時代の1543年にポルトガルから伝わった火縄銃は日本で独自の進化を遂げ、50年も経たないうちに生産量、保有数で世界最大の規模になりました。意外にも軍事大国だったそうです。ところが日本が黒船の大砲の轟音に目が覚めた時、火縄銃で培った軍事技術では、欧米に勝てないことを知ります。

 まるで現在の日本の自動車産業が同じ歴史をなぞっているようです。第二次世界大戦に敗戦した日本は欧米から自動車技術を導入して生産、品質の向上に努力。1980年代には生産、品質で世界と競争できる水準に到達します。1990年代からは日米欧の自動車各社による合従連衡が激しさを増し、2000年代にはトヨタ自動車が世界一の座にまで上り詰めます。

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