
NTTは「シン電電公社」未来に挑むゴジラか、過去の栄光を追う恐竜か(上)
1975年に大ヒットした小林明が歌う「昔の名前で出ています」を思い出しました。
「京都にいるときゃ、忍と呼ばれたの、神戸じゃ渚と名乗ったの・・・」「あなたがさがしてくれるのを待っていたわ」「あなたを信じてここまできたわ」と心情を語り、最後は「昔の名前で出ています」と締めます。渋くしゃがれ哀愁を込めた男の歌声だからこそ、出会いを待ち焦がれる女性の心情が伝わってきたものです。
小林明「昔の名前で出ています」が蘇る
ちょうど20歳の頃。そんな待ち焦がれる男女の哀切はさっぱりわかりませんでしたが、60歳過ぎた今になってようやく「昔の名前で出ています」に拘る思いがわかりました。
NTTは5月9日、正式社名を現在の「日本電信電話」から「NTT」に変更すると発表しました。6月の定時株主総会の承認を経て7月1日付で変えます。1985年、日本電信電話公社が民営化して以来、正式社名は日本電信電話。NTTは通称名でした。
「な〜んだ、NTTという呼び名を正式社名にするだけ?」。ほとんどの人が日本電信電話という正式社名を知らず、NTTとしか認識していないのになぜ社名変更するのか。不思議に思うはずです。でも、NTTは真剣だったはず。社名変更に民営化から40年間、雲散したかつての絶大なパワーを取り戻す思いを込めているからです。正式社名を裏読みすれば「エヌティーティー」ではなく「日本電信電話公社の復権」と読んで欲しいのではないでしょうか。
民営化以前の電電公社は絶大な権益を握っていました。資金力、設備投資力、研究開発力どれをとっても世界トップクラス。日本電気(NEC)、富士通、沖電気工業を御三家とする電電ファミリーを傘下に収めて世界の通信をリードしていました。
電電公社は世界の通信をリード
「C&C」を思い出してください。NECが提唱したコンピューターとコミューケーションの融合「C&C」は現在のインターネット、そして人工知能の時代を予見する先駆的な発想でした。世界の次世代通信を見通し、具現化するのは電電公社しかない。他を寄せ付けない矜持を感じたものです。なにしろ、民営化直後のNTTは世界最大の時価総額を記録するほど。この事実で納得するはずです。
しかし、民営化後のNTTは、輝きを失い始めます。民営化の狙いは巨大な組織を分割することで硬直化した経営を変革するとともに、日本の通信事業に競争原理を導入することでした。ドコモ、データ、コミュニケーションなどのグループ企業が誕生する一方、KDDI、ソフトバンクなどとの競争が幕を開けました。狙い通り、ドコモは携帯電話事業の開拓で新たな活力を吹き込み、固定電話に依存した電電公社時代のビジネスモデルを変え、新しい未来が目の前に映し出されました。
もっとも、NTTは電電公社時代のインフラと技術力を資産に抱えていますから、勝って当たり前の横綱相撲を強いられます。朝青龍や白鵬のように連続優勝が続くとつまらなくなるのと同様、通信事業もauなどに奮闘してもらわければ民営化の意味が失せてしまいます。NTTは適度に勝ちながら、ちょっとだけ負けなければいけません。独占と競争原理の均衡を彷徨う奇妙な通信事業を迫られます。
世界戦略でも転ぶ
だからというわけじゃないでしょうが、最強イメージだった電電公社とは程遠いキャラクターが「NTTらしさ」となってしまいます。世界に先駆ける新技術やサービスを世に送り出しながら、結局は失速するパターンの繰り返しです。光ファイバーのISDN、iモード、スマートフォン・・・。iモードはじめ世界の携帯電話革命を主導する言われるほどの技術革新を生みながらも、ビジネスモデル、あるいはデファクトスタンダートの地位を築けないのです。世界で最も優れている誇った携帯電話は日本でしか通用しない「ガラ携」と揶揄されてしまい、iPhoneのアップルなどに追い抜かれていまします。
NTTは世界で通信事業の覇権を握る野望も抱いていました。1990年代、海外の大手通信会社に次々と資本参加し、世界でNTTファミリーを増やすはずでした。ところが、こちらも結局は巨額資金をドブに捨てるのです。
電電公社時代に蓄えた資産と名声は、どんどん消え続けていきます。=つづく