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レンタルのニッケン創業者「亀太郎」は38年前に「世界基準の企業経営」を先取り(上)

 40年前、ベンチャー企業を中心に取材していました。当時の日本のベンチャー企業は文字通り、孤立無援。素晴らしい技術力を持っていても、すぐには収益が上がりませんから赤字に耐えながら事業を継続する資本力が必要です。ところが、銀行は夢を語る企業を冷笑し、担保する資産が無い相手に融資するなんて「とんでもハップン」。

リスクを取らない日本のベンチャー支援

 ベンチャーキャピタルと自称する金融機関はありましたが、リスク覚悟の米国と違って手堅い投資案件にしか選びません。「うちはいかに投資に失敗していないか」を滔々と説明するベンチャーキャピタリストを前に呆然としたことがあります。

 なかには「うちはベンチャーの老舗」と胸を張る企業もありました。創業して20年近く経過したのですが、いつまでも中小企業の殻を破れません。それでもベンチャー精神は健全と言い張ります。1980年代に米国西海岸のシリコンバレーを取材して回った直後だったこともあって、なんとも悲しい気分になったことを覚えています。

 ベンチャーからスタートアップに呼称が変わった今も、世界が刮目するベンチャー企業がなかなか現れません。日本は起業家も支援体制もまだまだ脆弱なまま。嫌いな人が多いと思いますが、イーロン・マスクのような「時代の破壊者」は日本に期待できないのでしょうか。

 悲観しているわけではありません。マスクとはキャラクターが全く違いますが、40年後の「今」を先取りした経営者にお会いしたことがあります。レンタルのニッケン創業者の亀太郎さんです。初対面であるにもかかわらず、屈託ない笑い顔で自社の事業を楽しそうに説明してくれます。儲かるかどうかを心配するよりも、「こうやると儲かるから、おもしろいんだよなあ」といった調子で話します。お話しすることが全て成功するのかと信じてしまいそうになりました。若輩の身ながら、経営者としてモノが違うと確信しましたし、今も忘れられない経営者の1人です。

 創業は1967年。創業した場所は祖業の酒屋の倉庫。自宅の車庫で創業したアップルのスティーブ・ジョブスみたいですよね。本業のレンタルを事業化したのは1975年ですから、お会いした時はちょうど10年ちょっと過ぎた頃でした。主力のレンタル事業は発展途上で、ライバルもダスキンぐらい。ベンチャー企業と呼んで良い段階でした。

名刺交換の衝撃

 最大の衝撃は名刺を交換した時でした。いつも通りに名前を見たら「亀太郎」。大手部品メーカーNOKの創業家は鶴さんですから、亀さんがいてもおかしくありません。一瞬、本名かなと思ったら、亀太郎のお名前の下に「岸光宏」がありました。偶然ですが、亀さんの隣に並んで一緒にお会いした方の名刺は鶴さんでした。

 レンタル事業の経営戦略を取材するのが目的でしたが、話題はやっぱり名刺から始まります。レンタルのニッケンのHPには創業20周年の1987年に「お金をかけないで、インパクトがあるもの」としてビジネスネームを発案したとあります。

 当時の亀さんは「会社に来たら、会社の人間として考え、プロの仕事をしてほしい。家に帰った時の自分と公私を区別するきっかけなるはず」と説明してくれました。しかし、お話を伺いながら、上司と部下、男女など世間の常識に縛られない社内の空気を醸成したいという思いを強く感じました。

 まず誰も亀社長と呼びません。ビジネスネームと同時に役職で呼び合うことも廃止したので、みなさん「亀さん」「鶴さん」と呼び合います。仲間感覚です。亀さんの隣で笑う女性の幹部社員は本当に楽しそうに自身の仕事を説明してくれます。社内に深く入り込んだわけではないので早計できませんが、鶴さんが亀さんをイジる雰囲気が新鮮でした。

常識に縛られた自分自身に気づく

 問題は自分自身にありました。この社内の空気にすぐに溶け込むのはかなり難しく、こちらから「亀さん」とはなかなか呼びかけられません。正直いって1時間以上取材しましたが、一度も「亀さん」とは言えませんでした。

「亀さん」「鶴さん」の名前は自分で考案したそうです。「自分なら、どんな名前になるだろう?」と考えてみました。動物名にこだわることはないというのですが、全然浮かびません。自分自身がいかに世間の常識に縛られているのかを知った時間でした。

 レンタルのニッケンを取材しながら「こんな会社が世の中にあるんだ」と驚き、「実はこれがベンチャー企業の経営そのもの」と痛感しました。

 取材した当時の1980年代、日本は世界第2位の経済大国になっていました。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と褒められ、終身雇用を軸にした日本的経営は、世界最強の企業経営と自己陶酔していた時代でした。

 しかし、経営の内実は戦後の高度成長期の成功体験を引きずり、足踏みしたまま。出世第一の人事力学に縛られ、人事考課は長時間労働が当たり前で、公私の私は無いのも同然。男女の賃金格差は目を覆うばかり。

 2025年の今、30年間も続いた経済成長ゼロ、年収の伸びゼロを反省して企業経営も変わり始めています。男女雇用均等と銘打った格差是正は法律制定から40年過ぎてようやく根付いてきました。とはいえ、賃金、性別などにとらわれず実力に応じて人事考課する世界基準の経営に近づいたといえるでしょうか。

創業者の勇気と覚悟に敬服

 レンタルのニッケンが先駆とは思いません。ただ、ベンチャー企業として「亀さん」「鶴さん」を決断した創業者の岸光宏さんの勇気と覚悟は賞賛したいです。誰もやろうとしない挑戦に切り込むファーストペンギンは、誰もができることではありません。やっぱりベンチャーでした。

 取材が本論からかなり外れそうになったので、亀さんに事業について訊ねました。「これからはヤケ糞、いやクソ味噌かな?」と笑います。ベンチャーだからといって、いくらなんでも自社の将来はヤケ糞にはならないでしょう。どっちにしても「ヤケ糞」も「クソ味噌」も意味不明だったので、「それはなんですか?」と聞き返しました。=次回に続きます。

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