
キリン 経営会議にAI役員 じっくり考える時間は無駄?正解を探すだけの会社は終わる
キリンホールディングスが2025年7月から経営戦略会議で人工知能(AI)を活用します。意思決定を支える右腕「AI役員 CoreMate」と位置付け、生産性向上と価値創造の2点に重点を置いたデジタル時代の経営をめざすそうです。
経営戦略会議は年間30回以上あるそうですから、「AI役員CoreMate」の責務は大きい。保守的なキリンは、何事にも挑戦する社風に転換したいと考えているだけに、AI役員の導入はとても刺激的な試みだと思いますが、デジタルとAIが示す明るい未来を美酒と勘違いして、キリンが悪酔いしてしまったら、洒落になりません。
生産性と価値創造を狙う
素朴な疑問です。経営者の考える力は本当に鍛えられるのでしょうか。経営戦略会議は時間効率を高め、正解を求める場ではありません。様々な視点から議論を深め、参加者たちは悩み、最後は自信を持って自社の未来を決断する場です。
経営戦略会議の論点整理、資料作成など事前の手間が多く、AI役員の活躍で時間の節約ができるのは事実ですが、担当役員や社員らが議論する時間を無駄と捉え捨て去るとしたら、最も大事なものを失います。なによりも、経営戦略会議の議論が行き詰まった時は経営判断をAI役員に押し付ける無責任な瞬間もありそうです。
余計な老婆心を察してか、キリンは「AI役員CoreMate」の活用法を明らかにしています。まずAI役員の養成法。過去10年間まで遡ってキリンの取締役会、グループ経営戦略会議の議事録データや社内資料を読み込み、最新の経営環境情報も加えて役員としての経験と判断力を養います。このトレーニングを通じて12人分の人格を備えたAI役員を揃えました。
もともと経営戦略会議のメンバーは社長ら長年業務に携わり、会社の隅々までを見渡せる見識の持ち主が選ばれます。キリンの業務と全く利害関係のない社外取締役として参画する人物もいるでしょう。AI役員は過去10年分のデータを把握しているとはいえ、正直言ってわずか10年分。かなり心許ない。
AIは10年分の議論を学習
キリンもわかっています。AI役員は経営戦略会議の事前準備を手伝うのがメインになりそうです。複数のAI役員同士が議論するべき論点や意見を交換して絞り込む一方、議案を提示する社員とも事前にテニスの壁打ちのように議論し、過不足がないかを点検します。
例えが良くありませんが、霞ヶ関などお役所でよく見かけた秘書課長や総務課長の仕事を担うイメージを受けます。AI役員の眼を経て提示する議案はきっと整理整頓されていますが、本来議論すべき問題点などが巧みに隠され、結局はシャンシャンと「異議なし」の声が続くだけの経営戦略会議に演出されてしまう恐れを感じます。
キリンはAI役員の効果として「人がやらなくてよい仕事をゼロにする(=生産性向上)」と「人と共に価値を生み出す仕事を加速させる(=価値創造)」をビジネス成果の2本柱とすると説明していますが、「人がやらなくてもよい仕事」などをそんなにうまく選択できるのでしょうか。
キリンが経営戦略会議にAI役員を活用するニュースを見て、ドイツの哲学者、イマニュエル・カントが著書「人間学」で紹介するエピソードを思い出しました。「賢く考えること」と「考えたことを実行する」の違いを説明する1例です。英国王がひどく物思いに沈んだ様子の伯爵に語りかける場面です。
「貴殿はいったい何を真剣に憂えているのか」
「「陛下の墓碑銘を思いついたところです」
「それはどんな風じゃ」
「ここに国王リチャード2世永眠す。彼は生前多くの賢いことを口になさったが、何一つ賢いことをなさらなかった」
カントは自身のドイツ人についても、社交の席で押し黙り、たまに至極平凡な意見しかを言わないのは分別ありげにみえるが、古風なドイツ人の粗野な態度が質実さと勘違いされるとの大差ないと自虐的に表現しています。
議論しても実行しなければ無価値
賢く考えることだけを焦点に当てれば、AI役員の賢さは人間の経営者を上回るかもしれません。ただ、経営戦略会議は賢さを競う場ではありません。キリンの経営者をリチャード2世と重ねるつもりはないですが、本来実行すべきことを怠り、デジタルの名の下で経営戦略会議を賢くしたと勘違いする落とし穴にハマる怖さに気づいているのでしょうか。
繰り返しになりますが、経営戦略会議など企業の未来を定める社内の会議は参加者自身が考え、実践する責務を負っています。困った時はAI役員の登場を願うとなったら、キリンはあっという間に麒麟の名に恥じる会社になってしまいます。