
舟を編む、新聞を編む、デジタルサイトを編む 制作の思いと快感はいつも同じ
NHKドラマ「舟を編む」が面白かったです。原作は三浦しをんさんですが、テレビ版はかなり脚色されています。2013年に公開された映画版も堪能しました。テレビは令和版というべきかコロナ禍などを取り込んでおり、原作の精神を大事に守りながら視聴者にとっての「今」を感じさせる辞書編集を目撃させてくれました。脚本家、演出家の力量に敬服します。
辞書編集の思いは同じ
改めて番組のあらすじなどを紹介する必要ないと思います。三浦しをんさんとは仕事を通じて原稿をお願いしたこともあって著書を読んでいます。滑らかでスピード感のある文章力はもちろん、読み始めたら止まらない物語を進める創造力はありきたりな言葉ですが、すごいの一言。
番組を視聴しながら、ちょっと涙が出てしまったのは言葉を編集し、印刷する過程です。辞書は子供の頃、愛読書でした。三省堂の明解国語辞典。他にも辞書がありましたが、私にとっては三省堂の明解国語辞典がすべての世界でした。
百科事典も毎日、めくっていました。読み始めると、知らない世界がどんどん目の前に現れます。楽しくて楽しくて。母親は「子供はテレビか少年マガジンを読むものよ」と心配するほどでした。
他にハマったのは人名辞典。歴史に登場する人物をわずか10行程度で紹介します。今思えば、なんと大胆な編集と驚嘆しますが、子供の頃はいろんな人がいるんだなあと毎夜、ページを捲っていました。
困ったら三省堂の明解
新聞記者になったのは、そんな文字、言葉に憧れたわけではありません。知識は人並み以上あったと思いますが、文章を書くのは不得意でした。今の流行の言葉なら発達障害でしょうか。漢字が覚えられませんし、正確に書くことができません。辞典が大好きですから頭でっかちの子供でしたが、それを文字で表現することができません。
高校生のころ、さすがに不安になって毎日、日記を書き始めました。文章を書くことが楽しいというよりも、家にあった万年筆で書くことが楽しかったのです。滑らかなペン先が文字を描く様が快感でした。
文字の世界と縁遠いとわかっていながら、新聞記者を選びました。それは世の中で起こっていることを伝えたかったからです。「ねえ、知っている!、こんなおもしろことがあるんだよ」。この感覚は60歳を過ぎた今でも変わりません。
新聞の世界で生きていけるか不安でしたが、杞憂でした。とても楽しい時間でした。一人前に取材し記事を書けるようになるまではホント、涙が涸れるほど泣きましたが、自分の記事を出稿し、新聞として編集され、印刷されるまでの時間は、なにものにも変え難い快感でした。
デスクには広辞苑
「舟を編む」で描かれた世界は、自分自身が過去40年以上も過ごした新聞と共振します。原稿で採用する言葉が適切かどうかを広辞苑などを参照しながら、何度も何度も考え直します。
新聞は小説と違い、わかりやすい文章が命です。名文を求められているわけではありません。しかし、限られた文章、紙面の中で記者が取材した思いを極力、伝えるために相応しい言葉はどれが適切か。記事の趣旨を多くの人に理解してもらい、感動してもらえればこれ以上の記者冥利はありません。
デジタルの世界も同じだと考えています。SNSなどで短い文章で伝えるコミュニケーションが当たり前になっていますが、書き手は一言一句に思いを込めています。
SNSとは違う楽しさ
自分自身のサイトはSNSと違い、あえて長い文章で記事を書き上げています。ワンワード、ショットメールの世界にあえて抗っているところもありますが、自分自身の考えを思う存分に書き、読者に理解して欲しいというのが本音です。
65歳からサイト制作する日々はホント、楽しい毎日です。なぜって、自分が書きたいこと、発信したいことを誰が読もうが気にせずに発信できるのです。数えきれな読者を想定した辞典、新聞の編集は違います。運良く一人の読者を獲得できれば万歳三唱!
マスコミの世界でプロとして生きてきましたから、自身のサイトは豆鉄砲かなと思う時もあります。でも、伝える気持ちは同じです。ネットの世界は無限です。小さな舟ですが、必死に漕ぎながらデジタルを編み続けます。