三笑楽 日本酒の粋 語って味わって酔っ払って うまい酒はやっぱりうまい
お酒は好きで、大学生の頃から酒浸りという表現が合うほど飲んでいました。日本酒、ビール、焼酎、ウイスキー、テキーラ、なんでもOK。まあ、酔えればなんでも良かったのです。
日本酒のおいしさを金沢で知る
そんな浅はかな酔っ払いに日本酒のおいしさを教えてくれたのが北陸でした。新聞社入社3年目の人事異動で勤務地が北陸の金沢市へ。幸運でした。北海道と青森で育った人間にとって、金沢は真逆の土地。美味しい魚が食べられる幸せにすぐ酔いましたが、地元のしきたり、文化には馴染めず精神は結構、消耗しました。謙虚、気遣い、日本文化の造詣など自分から欠落した性分と知性を補う本当の幸運に出会ったのに、当時は気づかず、それをストレスと抱えていましました。その鬱憤を晴らしてくれたのが日本酒でした。
当時、全国でも一番人気を集めていた日本酒は石川県の「天狗舞」や「菊姫」など。山廃ブームの先駆けとして知られ、東京では手に入りませんでしたが、金沢では気軽に飲めました。何を飲んでも結局はうまいと感じるのは今も変わりませんが、天狗舞や菊姫は、そのうまさがなんか違うのです。日本酒って面白いなあと思い始めたきっかけです。
そして、目から鱗の思いをしたのが能登の「宗玄」。浅野川沿いの居酒屋で燗酒を頼み、お酒を盃に注いでいたらこぼしてしまいました。正目が美しいカウンターに水溜りならぬ、酒溜まり。なかなか消えないので不思議に思い、人差し指で触ると指紋が残りました。米のりに似た感触。
「魚がうまい土地は甘口に」
お店の方に聞くと、意外な答えが返ってきました。「東京じゃ辛口が人気だけど、魚の美味しい地方の日本酒は甘口が多い。それが魚と合う」と説明します。しかも、当時の宗玄は引退した能登杜氏が自分たちの飲みたい酒として造っていたそうです。だからなのでしょう、一升瓶の色は茶色もあれば、透明もあります。「宗玄」と書かれた紙のラベルは一升瓶のガラス面で左や右に傾いており、手でペタッと貼り付けたのがすぐわかります。味は甘い。でも、燗酒で飲むと、いつまでも飲み続けられる。そんな出会いから日本酒を飲みながら、米の甘さを感じる、あるいは探す楽しさを覚えたのです。
今ハマっているのは「三笑楽」。富山県南砺市の酒蔵です。旧名は平村で、世界遺産に選ばれた合掌造りの家並みで有名な五箇山地域の地酒です。金沢時代は平村や白峰村など白山や岐阜方面までよく車で回っていましたから、五箇山と聞くだけでゴクッと喉がなります。
三笑楽との出会いは東京のよく通う小料理屋さん。たまたま飲みました。コクがあって旨くて、冷やでも燗酒でもいける。五箇山の酒と知り、うまさが倍加しました。酔っ払うまで飲み続けられる日本酒です(笑)。
お酒の名前が良いです。由来は中国の故事「虎渓三笑」からで、酒は笑って楽しく飲むものという思いを込めて命名したそうです。 もともと手間のかかる酔っ払いではありませんが、せっかく好きなお酒を飲むなら、親しい友人らとわいわい笑って酔い潰れるのが理想です。20代の時に暮らした金沢時代は、他の新聞社やテレビの仲間たちと文字通り「三笑楽」でした。
笑って飲み、酔い潰れる
5年前、北陸をクルマで回った時、五箇山に立ち寄り、三笑楽の酒蔵を訪ねました。あいにくお休みでしたが、外から「いつも美味しい日本酒をありがとうございます」と挨拶してきました。酒蔵の近所にある酒店で三笑楽を10本ほど買い、しばらくは自宅で三笑楽に浸かっていました。
酒蔵のホームページには、酒造りの思いが綴られていました。
五箇山の酒のあては、昔から保存食や山の幸といった味の濃い物、特徴のある物。
お酒が端麗では肴に負けてしまうので、昔から骨太の旨味のあるお酒を醸してきました。
現在の酒造りも、創業以来地元の文化と育ってきた骨太の味をベースに商品を設計しています。
日本酒、特に純米酒の技術指導に努められた上原浩さんは著書「純米酒を極める」のあとがきの締めとして古い川柳を紹介しています。
酒もタバコも女もやめて、百まで生きたバカがいる。
私は真っ平ご免である。
これからも健康に注意しながら、日本酒を楽しみます。
記事中の写真は三笑楽のホームページから引用しました。