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日産・ルノーが教えること③義理・人情、しがらみは昭和の遺物、ケイレツ崩壊がEVの道を拓く

 日産自動車とルノーの提携劇を支配したカルロス・ゴーン。その経営手腕はまさに切れ味抜群。コストカッターの異名通り、バッサ、バッサと刈り取っていく。当時、思い切り良すぎる経費削減に驚き続けましたが、今振り返るとテスラ創業者のイーロン・マスクがツイッター再建で実践している再建策と同じ。外野からの批判などに耳を傾けている時間は無駄。自分自身を信じることに揺らぎがない。時代を変える破壊的な経営者、ディスラプターとは、大向こうを唸らす劇的なパフォーマンスを演じる能力と勇気を持っているのでしょう。 

ゴーンはマスクと同じ破壊者

 カルロス・ゴーンが資本提携直後の1999年10月にまとめた「日産リバイバルプラン」。完成車工場を3カ所、部品工場を二カ所の合計五カ所の工場を閉鎖するほか、グループの人員は14%に相当する2万人を削減。これだけでもかつてない規模にもかかわらず、さらに自動車部品の調達先は50%もカット。この結果、有利子負債1・4兆円も半減する目標です。わかりやすい数字を並べ、再建策のメッセージを社内外に伝える意図は評価でいますが、その衝撃はあまりにもすさまじい。

 カルロス・ゴーンが説明の際にたびたび使った「コミットメント(必達目標)」。日本中の会社が「これはコミットメントだから」と言い放って指示するのが流行したほど。「言い逃れはできないぞ」との意味を超え「失敗が許されない」命令に。

 倒産寸前だった日産は2001年3月期の純損益は3311億円の黒字を計上。誰も予想できなかった再建を表現した「V字回復」も、これまた流行語に。当然、カルロス・ゴーンは「最初のコミットメントは達成された」と胸を張ります。

系列破壊は産業ピラミッド崩壊の引き金

 コミットメント達成。ゴーンショックとして産業界の屋台骨を揺るがします。

 日本の自動車産業は広大なピラミッド構造を形成しています。トヨタ自動車や日産などの完成車メーカーを頂点にデンソーなど世界的な部品メーカーが続き、その後ろには1次・2次下請けと多層的な裾野が広がります。トヨタや日産が完成車メーカーと呼ばれるのも、自動車を構成する3万〜5万点の大半を部品メーカーに発注し、納入された部品を組み付けて自動車を完成させるからです。トヨタと取引している下請け企業だけでも4万社を超えます。

 部品価格と取引先削減を掲げる日産です。大手系列の出資を削減、あるいは手放すなどして、ピラミッドを頂点から崩し始めます。日産が系列よりも価格重視で取引先を選択するわけですから、取引を継続できたとしても部品メーカーの収益は厳しさを増します。日産系列だった企業は日産以外の取引先を開拓するなど努力しますが、多くは経営が苦境に追い込まれます。

 日産との関係を強化できた数少ない系列トップだったカルソニックカンセイも2017年にファンドに売却され、外国企業マレリとして再生をめざしましたが、2022年6月1兆円超の負債で事実上経営破綻し、再建中です。

 V字回復の輝きの下には死屍累々。まさに将功成りて万骨枯る。当時の日産は生き残るのが至上命題。誰が批判できましょうか。

 衝撃の波は鉄鋼メーカーの統合も誘発しました。2002年、川崎製鉄とNKKが経営統合してJFEホールディングスが誕生しました。日本の基幹産業の主役の1人である日産が口火を切った部品の価格競争は素材など幅広い産業に及び、企業の事業再構築、あるいは統合を招きます。1980年代、米国が日本の閉鎖市場を批判する際に使った「ケイレツ」がついに風穴が開けられました。

 日産のV字回復を見る限り、カルロス・ゴーンが引き起こした系列崩壊は、大成功です。世界から称賛を浴びます。しかし、長期的に見て、果たして日産は再生に成功し、強さを取り戻したのか。

トヨタの強さは系列が源泉

 トヨタは1950年(昭和25年)、経営破綻寸前に追い込まれ、事実上の日本銀行の管理下で乗り切る事件に直面しました。その際、経営支援に手を差し伸べた企業とは厚い信頼関係を築く一方、支援を断った企業には一切取引を断りました。その象徴が住友銀行と川崎製鉄。川崎製鉄がNKKと統合してJFEが発足するまで50年以上も取引は停止したまま。

 この昭和25年の事件はトヨタの経営を知るキーワードです。破綻寸前を切り抜けたトヨタの結束力、言い換えれば系列の強さが世界一の自動車メーカーに押し上げたのですから。

 極めて当然の結果です。新車開発はトヨタや日産など完成車メーカーばかりが脚光を浴びますが、系列の部品メーカーが総力を挙げて新技術を開発し、品質を維持しながら大量生産できる部品を完成した結果なのです。

日産はEVに走るしか道が無かった

 日産は系列崩壊で目の前の危機を脱したものの、開発投資の大幅削減、系列崩壊によって未来に向けた技術・生産を実現する総合力を失ってしまっていました。一時期、日産はデザインやかつてのヒット車の復活で話題作りに努めていましたが、裏返せば新車を技術面でセールスすることができなかったからです。

 日産が電気自動車(EV)へ走ったのは必然でした。2000年代、トヨタがハイブリッド車でグングン伸びていても、日産は追いかける実力がありません。部品メーカーの支援無しで環境対応で対抗するには、電気自動車しかありません。テスラがEVで成功したことを思い出してください。それが日産の限界でした。

 ところが、時代の歯車がぐるりと回り、EVが近未来の主流になりそうです。部品メーカーを抱えない日産の弱みが強みに転じるかもしれません。EV開発の現状をみればトヨタが系列に縛られ、身動きが鈍っているの対し、日産は系列に囚われず自由な開発に取り組めています。昭和25年からトヨタが堅守してきた義理・人情、しがらみの企業グループ力が、EVの時代には昭和の遺物に過ぎないのです。

 EVの開発競争はこれからが本番。モーターとバッテリーがあれば走るEVから、電機や情報通信などの企業とタッグを組んで新しい移動体をどう創案するのか。遺物を早々と捨てた日産にとって吉と出るか凶と出るのか。ようやく日産・ルノーの提携劇は序幕が終わり、第二幕が始まったばかりです。

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