出井さん、スーパースターに疲れ、ゴッホのように聞く耳を忘れる

次代のソニーを描き切ったが・・・

 個人的には出井さんは「これからのソニーの社長が絶対に欠かせない才能を持っている」と考えていました。その才能とは、「ソニーとは何か」を説明できる力、翻訳能力に優れていたからです。ソニーを取り巻く経営環境の変化をソニー社内に説明すると共に、社外に対しては「ソニーの素晴らしい技術はどう未来に貢献するのか」と訴える。語学力を得意とする出井さんです。創業者の盛田昭夫さんのように英語やフランス語で自ら説明し、ソニーとの提携先を広げていくことができるとみていました。

 当時、ソニーは世界の映像・音楽関連技術のトップランナーです。例えばカラーテレビのトリニトロンは他の技術力と格段の差をつけ、その色彩再現力は抜群でした。他の方式を寄せ付けない強さと評価を確立していました。そのブラウン管事業での成功体験がソニーが液晶やプラズマなど薄型テレビへの進出判断を誤らせたとのエピソードが有名ですが、実はプラズマによる動画再現技術はすでにソニー社内の技術者が開発していました。しかし、ソニーはプラズマテレビの開発を見送り、その技術者はソニーを離れ、技術は社外へ流出します。

 ほんの一例ですが、他の技術開発についても自らの技術力を過信していました。当然ですが、世界の技術革新の流れから取り残される結果につながります。消費者の好みの変化などを見落とし、製品開発が遅れ、社運を揺るがす致命的な落とし穴にはまります。

 出井さんの社長就任のニュースは海外駐在していたシドニーで聞きました。心底おめでとうとお祝いしたかったので、あるポストカードを郵送しました。そのカードにはゴッホが耳を切って頭を包帯でぐるんぐるんに巻いた自画像が描かれています。カードには一文が英語で書かれています。「ゴッホは耳を切った後、聞くことが難しくなった」。返事が届き、そこには「東京に来たら、遊びにおいで」と笑っていました。

社長就任の祝いは「ゴッホの自画像」苦言を聞く耳を忘れずに

 日本から伝わる社長就任のニュースはどれも礼賛の嵐ばかりでした。いかにもソニーブランドにふさわしいスマートな社長の誕生です。当然でしょう。しかも、期待した通り、「デジタル・キッズ」「小惑星が地球に衝突した時のようにインターネットは破壊力がある」といったクールなフレーズが次々に飛び出してきます。出井さんは賢い人です。自分の役回りを自覚していたはずです。最新技術の現場はわからないが、未来でどう花開くのか、それをソニーがどう実現するのかを翻訳し、次代のソニーを描いてみせる。

 大成功を収めます。ビル・ゲイツらネット時代の寵児と並び、スイスのダボス会議では世界経済が向かうべき未来を説きます。今度は世界から礼賛されます。しかし、スーパースターは消耗します。マイケル・ジャクソンを思い出してください。自身の役割に対する期待と現実の差をどう埋めるのか、悩み始めます。ソニーの経営そのものが自ら説いた未来にたどり着く前に時代から取り残りされていきます。

 出井さんは聞く耳をどこかに忘れてしまったかのようでした。後任の社長ら経営陣は出井さんの耳が痛くなるようなことは伝えません。社長特有の持病「独りぼっち」になってしまい、最も優れている周囲を見渡し、理解する能力が機能しなくなりました。2005年に経営から身を引いた時は、就任時の礼賛が手のひら返ししたかのように非難の声に押し潰されるようでした。

 ソニーから離れた後、若手リーダーの育成に精力を注ぎましたが、その舞台裏をみるとその名声を汚す恐れがないのかと心配することもありました。スーパースターの光と影は凡人には推測すらもできません。ただ、出井さんが活躍するニュースを見るたびに「ゴッホの苦しみ」を忘れないでと何度も思っていたのは事実です。

 ご冥福をお祈りします。

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