浦上天主堂

厚い思いが地に沁み込む)長崎の街が映し出す函館と広島(その3

長崎市には大学生の時に初めて訪れて以来、出張も加えて何度も訪れています。北海道・函館育ちの私にとって、長崎は近い街です。江戸時代に世界に開かれた歴史もさることながら、海と山が近くて坂道が多い街並みにとても親しみを感じます。九州と北海道と南と北の真逆の地理ですが、とても近いのです。

長崎と函館がとても近い

その理由は教会と坂道にあるのかもしれません。私の遊び場は函館市元町でした。函館山の山腹に東本願寺とカソリック元町教会、ロシア正教のハリストス正教会が隣り合って建っています。東本願寺に併設された大谷幼稚園に通っていましたから、帰りは元町教会やハリストス正教会の横にある坂道を上り、日本で横浜に次いで二番目に出来たという上水道場の広場で遊んでいました。今では絶対にできないでしょうが、隠れる場所があるので、教会の敷地内で鬼ごっこをやったものでした。楽しかったです。友達を追いかけて石畳の坂道を上ったり滑ったり。教会の中に入って探す時も。冬になれば、そりや段ボールで滑って遊びます。教会と坂道は遊園地でした。

でも、長崎の教会で鬼ごっこはできそうもない

長崎市には大浦、浦上の両天主堂があります。学生時代に初めて訪問した際の感動は忘れられません。とても美しい。でも、ちょっと遠い。遊び場で勘違いしてた教会と違いました。天主堂は江戸時代から貿易の拠点として栄えた長崎の中心地にあるためか、華やかさも感じます。浦上天主堂は建物の外も内も直線的な美しさが映され、心底美しいと思ったものです。優劣を比較する考えは全くありません。隠れキリシタンの迫害や原爆被災の歴史を負っているだけに、とても子供が鬼ごっこをする空気は見当たりません。多くの苦難を乗り越えて教会を守ってきたとの意思が強く感じられ、守る人の気持ちが教会の美しさに映し出しているのでしょう。街が抱えている歴史の違いとしか言いようがありません。

ちゃんぽんよりも福沢諭吉の訓話が記憶に

ただ、長崎で一番感動したのはちゃんぽんでした。学生の頃でもおいしものが多いのは知っていましたが、お金がありません。長崎といえば何を食べるかと考えたら、最初に思いついたのがちゃんぽん。大通り沿いの中華店に入りました。今でいえば町中華のお店です。注文した後、カウンター横の壁を見ると福沢諭吉の訓話が項目別に並んで書かれた横長の紙が貼られていました。「世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です」など人生訓でした。偶然、福沢諭吉が創立した大学の学生だった私は「天は人の上に人を作らず・・・」以外に有名な文章を知らないので、商売をやっている人が紙にして貼り付けるほどの訓話を残していたのだと驚いたものです。

ちゃんぽんの味はどっかへいってしまい、残っているのは目に映ったスープの色とたくさんの具材でした。なにしろ函館の大好きな塩ラーメンと違って、スープが白い。濁っています。函館育ちの人間にとってラーメンのスープは透明なものです。本州に行ってラーメンを注文したら、黒い醤油スープが出てきた時には心底驚きました。関西の人が東京でうどんやそばを注文したら、スープの色が違うとびっくりした様子と同じです。スープ以外では福沢諭吉が残した訓話を掲げるお店の店主の心意気の方に気持ちが行ってしまいました。後年、福沢諭吉はこういく人生訓話を残していないことを知りました。でも、これを励みに商売している人がいるならそれもまた福沢諭吉の功績かと思っています。

コロナ禍がちょっと収まったので2021年秋、、長崎を久しぶりに訪問しました。コロナ禍で入場制限など多くの制約があるなかで、大浦、浦上の両天主堂を見学できたのは幸運でした。翌日、訪れる予定だった隠れキリシタンで有名な天草の崎津教会へ行く前に、長崎県や熊本県など九州の広い地域で天主堂を守り続ける信者のみなさんの強い思いを大浦、浦上で改めて感じられたのはよかったです。

久しぶりに長崎の坂道を歩きました。懐かしい。函館の石畳の坂道を思い出します。その足で中華街に向かいます。ちゃんぽんで有名なお店に入りました。学生時代と違って、人気の豚の角煮を入れると一杯千円以上と聞いてもビビらなくなっていました。うまい。でも、なぜか福沢諭吉が浮かびます。港の向こうを見ると、三菱重工業の長崎造船所が見えます。函館にも函館ドックという造船会社がありました。大浦天主堂を降りて海岸沿いを歩いていると、函館の港をなぞっているかのような気分になります。懐かしいような、でもとても遠い存在にも感じます。やはり長崎が多くの歴史を背負っているからなのかもしれません。

20年ぐらい前、新聞社の広島支局に駐在して中国地方を取材して回りました。広島も長崎も世界で唯一の原爆被災地です。二つの都市の被爆地を唯一と表現するのは適切ではないかもしれません。世界に平和を発信する都市としての役割は同じです。浦上天守堂の被爆したマリア像はじめ長崎の街を歩くと、隠れキリシタンへの弾圧、原爆被災の歴史を目にします。長崎は日本の貿易や文明開化の出発点でもあります。100年以上もかけて、私たちが目にする歴史がこれなのか。広島で経験した思いが繰り返されます。もう2000年以上も前から平和が大事だ、人を愛すと世界の人が口にしているのに、人間ってどうしてこんなことができるんだろうという悲しい思いは消えません。

でも、毎日の生活は続きます。長崎の人はちゃんぽん、広島の人はお好み焼き、函館の人は塩ラーメンを食べて暮らしています。好きな食べ物を選べる幸せがとても素晴らしいことであることをを忘れたくありません。この繰り返しが街への厚い思いを育てる土壌になっているのです。そして、この日常を守り続けなければいけません。長崎の歴史は日常を守る努力が大事だと教えてくれます。

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