核実験反対の先頭に立つ武村正義氏

南太平洋 3 タヒチのヒバクシャ、北半球の横暴が「南の島に雪が降る」に

9月2日、10カ国以上の国会議員約100 人を含む約2000人が集まる国際抗議集会がパペーテで開催されました

集会では武村正義蔵相ら日本の政治家が壇上に立って反対・抗議を表明しましたが、実際のスピーチとなると日本の政府与党で英語を話せる政治家が見当たらず、英語に精通している当時社会党の秋葉忠利衆議院議員が日本を代表して代読のような形で話したのが悲喜劇のように映りました。秋葉さんが政府与党の考えを披露する時はさすがに奇妙な風景でした。7年後、広島市長に就任していた秋葉さんと会った時は互いに苦笑しあったものです。今更ながら政府のみならず日本の世界への情報発信力の弱さを嘆いたものでした。

9月5日、仏が午後零時半(日本時間6日午前6時半)にムルロ􏰑􏰃ア環礁で1991年7月以来の核実験を再開。

9月6日、核実験翌日の抗議活動はこれまで以上に拡大し、3000人がタヒチ島ファーア空港に乱 入し、建屋に放火、空港は閉鎖状態が続きました。

フランス軍や警察が放ったプラスチック弾がころがる

フランス軍や警察が放ったプラスチック弾がころがる

空港への乱入、放火の時はその場で取材していましたが、騒乱取材の難しさを改めて実感しました。安全を確認しながら取材していたのですが、仏軍が乱射するプラスチック弾と催涙弾を避けるため抗議する群衆は渦巻くように動き、私は知らない間に仏軍と対峙する位置に立ってしまい、催涙弾をまともに受けたりしました。

空港の駐車場が放火され、丸焼きされたクルマ

空港の駐車場が放火され、丸焼きされたクルマ

他のメディア取材でも、ある新聞社の記者は車を放火されてパスポートなど重要書類を失ったり、某テレビでは燃え盛る空港を撮影していたカメラマンは「ここまで危険手当はもらっていない」と言い放ち、撮影を放棄したり。慎重に取材を進めるのですが、思わぬハプニングに戸惑う場面があリました。また抗議活動の一環として道路が封鎖されたため、記事を執筆・配信するホテルまで10キロほど歩くことになったのですが、偶然並んで歩いていた英国紙の記者と二人で日本と英国の読者や編集者の違いなど話したのは楽しい思い出の一つになりました。

タヒチ島での抗議活動が終息した後、核実験反対運動の前面に立った人たちを訪ねました。警察や仏軍の圧力は予想以上に強く、取材を拒否される場面が続きました。あるリーダーは拘束された中に電気ショックによる脅しを受け、海外のメディアにはノーコメントを貫けと言われたと明かしてくれたことも。海外メディアとして現地の取材を「どう進めるのか、そしてどこまで書くのか、あるいは書かないのか」など今も悩む課題をタヒチでも突きつけられました。

 タヒチから7年後、私は広島の地に立っていました。新聞社の人事異動で赴任したのです。原爆を投下された広島の歴史を改めて自分の目と耳と足で取材する機会を得ました。戦後、軍都として栄えた広島県は原爆による甚大な被害を受けた後、軍事産業が残した技術と人脈をもとに自動車や造船、鉄鋼、機械などで日本有数の産業地域として復活しました。繁栄する地域としての「広島」がある一方、被爆地として世界に原爆の悲惨さを訴える「ヒロシマ」の二つの顔があることも感じました。ヒロシマはアルファベットのHIROSHIMAと表記しても良いかと思います。世界ではTOKYOと並ぶか、それ以上にヒロシマは知られているはずです。だからこそ、7年前、タヒチ・パペーテで「ヒバクシャ」の声が多くの島民の胸を震わせたのです。

広島でタヒチを改めて振り返った時、テレビで見た一場面が浮かびました。「 南の島に雪が降る」です。俳優の加東大介さんがパプア・ニューギニアで体験した戦争のエピソードをもとに制作したものです。NHKでテレビドラマ、東宝で映画として制作されており、小さい頃にテレビで見ました。加東さんは兵隊としてパプア・ニューギニアに駐留した際、悲惨な状況にある現地の兵隊を励ますために熱帯樹林の中で舞台演芸を行うことになり、日本の風景として雪を降らす場面を設定したそうです。ある日、観客席を見たら数百人の兵隊が日本を思い出して涙を流していたというエピソードです。確か紙吹雪が舞う様子を見て、兵隊さんが「ああ、雪だ、雪だ」と感動する場面だったと思います。私は北海道・青森で育っており、雪が大好きな子供でしたから「南の島で雪が降る」の感動がとても印象深く感じたものでした。

「南の島に雪が降る」はあり得ないことです。しかし、米国やフランスなどは南太平洋にわずかな島民しか住んでいないという理由だけで核実験を繰り返しました。それは北半球の横暴です。人類がもう2度と繰り返してはいけないこととわかっているからこそ、北半球の本国から遠く離れた南の島で核実験をしたのです。「ヒバクシャ」がタヒチで大きな感動を呼んだのは、北半球でわかった人類の愚かさを南半球の人々に伝えようとしたからです。南の島で降った雪は溶けて消えますが、放射性物質と島民の傷ついた肉体と心は永遠に残ります。南に住んでいると北半球の横暴をたびたび目撃します。夏と冬が逆になるように南半球の常識が北半球の人々には通用しないことがあります。同じ地球なのに北半球と南半球は違う人類が住んでいるのでしょうか?

 

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