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EIZOとPFUはデジタルの逸品を創出 能登は電子部品だけじゃない

 EIZOとPFU。輪島塗、九谷焼、加賀友禅、七尾仏壇など日本でも有数の伝統工芸の地、石川県が産んだ両社の製品は「デジタルの逸品」と呼んで良いでしょう。

伝統工芸の地ならでは

 村田製作所、サンケン電気、KOA・・・。石川県の能登半島には世界の情報機器、電機製品に欠かせない電子部品を生産するメーカーが多く、中堅中小企業がその裾野として支えています。EIZOとPFUは地域に集積した電子技術をもとに世界から高く評価されるデジタル製品を開発、生産しています。能登半島を襲った最大震度7の大地震は工場の稼働に大きな影響を与えました。幸いにも工場の稼働は回復に向かっています。能登の復活に向けて大きな力になります。ちょっと安心しました。

 EIZO、PFU。いずれもよく取材に訪れた企業です。といっても40年前。恐縮です。1980年代、マイクロソフトもアップルもまだ新興企業。当時の言葉ならベンチャー、今ならスタートアップ。世界の情報技術の頂点に立つことが約束されていたわけではありませんでした。ただ、デジタル技術を駆使してコンピューターなどの情報技術がどんどん進展し、エレクトロニクス産業が大きく変わるのは確実でした。

ナナオとユーザックが懐かしい

 デジタルが引き起こす産業変革の波が能登半島に伝わるのか。取材しながら、素朴な疑問が消えませんでした。当時、EIZOはナナオ、PFUはユーザック電子工業とそれぞれ呼ばれていました。

 ナナオは1967年、村田製作所の創業家の資本が加わって石川県七尾市で七尾電機の社名で創業しました。翌年の68年に羽咋市に羽咋電機も設立され、こちらが七尾電機の事業を取り込み、EIZOの源流になるそうです。73年からナナオに変更、電子関連の開発、生産を加速します。コンピューターなどに使用する画像装置ディスプレーの機能がどんどん評価され始めた頃です。

 社長は高嶋哲さん。今は競馬の大馬主として有名ですが、当時は、ビル・ゲイツ、西和彦らパソコン、ソフトウエアなどの人気スターとの話題が飛び交い、面白く取材が止まりませんでした。記事よりもお喋りの時間に費やした記憶だけが残っています。85年からはEIZOブランドをスタート、現在の映像機器で高機能を意味するEIZOブランドを確立しました。

 ユーザック電子工業は1960年、石川県宇ノ気町(現在のかほく市)で創業したため、ウノケ電子工業の社名でスタート。私はこの「ウノケ」が気に入っていました。石川県の方言では末尾に「ケ」を付ける場合が多く、「本当にそうなの?」と伝える時は「ほんなんけ」と言います。この末尾のケが宇ノ気のケと重なり、ユーザックの創業社名が「ウノケ」と知った時はとても石川県らしい気に入ったぐらいです。

 つまらない個人的な思い入れはともかく、69年からユーザック電子工業に改め、富士通と技術提携して中小企業向けオフィスコンピューターで事業の基礎を固めます。オフコンと呼ばれる事業領域でトップの地位を固め、87年に富士通とパナソニックの共同出資会社「パナファム」と合併し、PFUになりました。現在はスキャナー「ScanSnap」シリーズの大ヒットを飛ばし続けています。つい最近まで、このスキャナーには書類の整理なども含めてとてもお世話になりました。

電子部品、コンピューターのイロハを学ぶ

 1980年代、EI ZOもPFUもデジタルで成長の壁を破り、飛翔し始めていました。情報技術やコンピューターの取材といえば東京に本社を構える大企業というのが相場でしたから、「石川県からも、必ず世界的な企業が生まれるんだぞ」との思いを込めて記事を書いていました。

 改めて振り返ると、石川県で「電子部品とは?」「コンピューターとは?」のイロハを学んだのだと気づきます。インターネットが当たり前の今なら、本社がどこにあろうが全く気になりませんが、1980年代はまだFAX全盛で、携帯電話もありません。メールのやり取りなんて想像を超えています。EIZOのディスプレーもゲーム機器用として伸びるだろうぐらいのイメージしか湧きませんでした。PFUもオフコンという言葉自体がアナログに聞こえる時がありました。しかし、両社とも能登半島に拠点を構えながら目の前の壁を乗り越え、世界中で稼いでいます。

 EIZOは1月22日現在の状況を以下に伝えています。

令和6年1月1日に発生しました能登半島地震により被災されました皆様に心よりお見舞い申し上げますとともに、被災地の一刻も早い復旧復興をお祈り申し上げます。
この地震によるEIZO 株式会社 本社・工場(石川県白山市)およびグループ会社の EIZO エムエス株式会社 羽咋工場・七尾工場(石川県羽咋市・七尾市)における影響について、下記の通り情報を更新いたします。

1. 事業所の稼働状況
1)EIZO 株式会社 本社・工場
1 月4 日から通常稼働しております。また、EIZO エムエス株式会社 七尾工場より一部生産ラインの移設を完了し、予定通り当ラインでの生産を開始しました。
2)EIZO エムエス株式会社 羽咋工場
1月10日から時間を短縮し、計画通り稼働しております。従業員の生活の復旧と安全確保を最優先しながら、1月29日から通常の70%稼働、2月13日から100%稼働を目指します。

3)EIZO エムエス株式会社 七尾工場
工場建物の安全確保及び生産にかかる設備の点検及び試運転を完了し、1月22日から時間を短縮し通常の30%稼働にて生産を再開します。3月4日から100%稼働を目指します。一方で、断水等による生活インフラへの影響がいまだ残っており、引き続き従業員の生活の復旧と安全確保を最優先して対応してまいります。

2. 業績への影響
業績への影響額は現在確認中であり、2024年1月31日発表予定の2024年3月期第3四半期決算の公表時に、併せて開示いたします。 

 次はPFUです。

元日に発生した令和6年能登半島地震により被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
被災された地域の皆様の安全と健康を切に願うとともに、PFUグループも被災地域の一日も早い復旧・復興に貢献すべく、取り組んでまいります。
今回の地震による、株式会社PFU本社(石川県かほく市)、およびグループ会社の PFUテクノワイズ株式会社(石川かほく市)への影響について下記のとおりご報告いたします

1.株式会社PFU本社(石川県かほく市)

建屋に大きな被害はありませんが、余震の継続的な発生や社員の状況を鑑み、1月4日、および、1月5日は休業といたします。なお、他地域においては通常どおり営業を行います。

2.PFUテクノワイズ株式会社(石川県かほく市)

建屋および生産設備には大きな被害はありませんが、同様に1月4日、および、1月5日は休業といたします。生産に関してはお客様への影響が出ないよう復旧と対策に取り組んでまいります。

※ PFUテクノワイズ株式会社は、PFU製品の機械部品、プリント基板ユニット製作、ケーブル加工、製品の組み立て、試験などを行っております。

 

◼️ 写真はEIZOのホームページから引用しました。

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