
ホンダが消える51 本社が青山から八重洲へ移ったら、普通の会社になっちゃう
ホンダが2029年、本社を東京・青山から東京駅南口の八重洲に゙移転します。本社の建て替え計画は知っていましたが、青山に舞い戻って欲しかった。ホンダが世界の自動車メーカーに飛躍できたのは、損得勘定に抜きに遊び心を大事に守ってきたからです。好きな車作りに没頭するあまり、売れない新車ばかりとなり経営危機も経験しました。でも、懲りずに挑戦し続ける姿勢がホンダの強さの源と信じています。
「本社がどこでも同じ」じゃない
「本社なんてどこにあっても同じ」と考えるかもしれません。実はそうでもないんです。
八重洲はJR東京駅の南。北には丸の内、大手町。日本を代表する企業の本社がずらり。ホンダはトヨタ自動車に次ぎ、自動車メーカーとして日本で第2位、世界でも第8位。丸の内、大手町に本社を構える大企業の中でも頭抜けており、世界的な知名度や影響力を考えたら”格上”。でも、近隣の丸の内や大手町に本社を置く誇り高き大企業の仲間入りだけではしてほしくないのです。
ホンダが八重洲に本社を構える意味は重々承知しています。72年前の1953年、創業の地、静岡県浜松市を離れ、本社を八重洲へ本社を移しました。自動車メーカーとしての存在感をアピールするのが狙いでした。
創業者の本田宗一郎さんは前年の52年に二輪車「カブ」を大ヒットさせ、日本一の二輪車メーカーの座を手にする確信を得ます。次いで四輪車への進出を計画しましたが、当時の通商産業省はホンダの四輪車進出に反対します。本田さんはそんな逆風に無視するかのように夢に向かって突っ走ります。
八重洲に本社を移した53年は埼玉県などに新工場を相次いで建設し、二輪車の増産体制を拡充。翌年の54年は東証に株式公開。計画通り55年、二輪車生産で日本一に。二輪車はさらに世界トップへギアを上げます。
八重洲移転から9年後の62年に四輪車進出を正式に表明し、翌年の63年に軽トラックとスポーツカー「S500」を発売します。同じ年に四輪車に進出したばかりなのに自動車レースの最高峰F1(フォーミューラー・ワン)に参戦するのですから、意気込みに驚かされますし、その無謀さに「さすがホンダ」と舌を巻きます。
前回の八重洲移転は日本中枢へのくさび
八重洲への本社移転はホンダにとって日本の政治経済の中枢にくさびを打つ覚悟そのものでした。現在は解体されましたが、当時の本社ビルを知っています。東京駅南口に並ぶビル群に交じる細く頼りないビルでした。人間に例えれば、窮屈な隙間に無理して分け入り、つま先だって立っている様子に映りました。
当時のホンダはまさにその姿の通り。三菱、三井の財閥系企業に挟まれても、「ここにホンダあり」を叫び、霞ヶ関など政府の中枢に訴えるしかありませんでした。
その八重洲本社も世界企業に飛躍するに伴い、手狭となってしまい、原宿へ移り、1985年に青山に新本社を建設して移ります。幸運にも私は新聞記者としてホンダを取材し始めた年です。ピッカピッカの本社に驚くよりも、ビルのデザイン、インテリアが日本の大企業らしくなく、垢抜けています。GM、フォード、ベンツ、VWなど世界の自動車メーカーの本社を訪れた経験がありますが、ホンダの本社は洗練されていました。英語で言えば「クール」。
しかも、夕方、就業時間を終えた後は、当然ながら青山近辺で飲みます。ホンダの皆さんとはホント、よく飲みに行きました。青山には個性的なお店が多く、「今夜はあそこへ行こう」と訪ね、ワイワイ騒いで楽しみました。なかでも「味で勝負、勝負」と描いた看板を掲げた居酒屋が大好きでした、「技術で勝負、勝負」と煽るホンダそのものだったからです。
三菱・三井の財閥の仲間入り?
「うちも青山に本社を移して、いろんな人材を集めないとダメだ」。1990年代、経営不振に喘ぐ日立製作所の副社長が社風を変革するには、本社を変えなくてはいけないと嘆いていました。当時の本社はJRお茶の水駅前。周囲は大学が多く、まじめで質実剛健な日立にそっくり。しかし、日立は重電のほかに家電やパソコンなどを手掛ける総合電機メーカーとして壁にぶつかっていました。消費者の胸の内が読めないのです。
青山はファンションの街として知られ、若者が集まる時代の最先端の空気が流れています。街並みも明治神宮外苑のいちょう並木が広がるなど大都市・東京とかなり違った街並みが続きます。「彼、彼女が日立社員?って驚く若者が闊歩する会社にならないと次は見えない」と日立副社長は真顔で話したものです。もっとも、日立の現在の本社は東京駅北口前の丸の内。いかにも日立らしい本社の立地です。
ホンダが八重洲に本社を移したら、三菱や三井の財閥系企業、日立、日本生命、東京海上など保守の権化と仲間入りするなんてないですよね。日本経済の頂点に立つ空気に酔い、仕事帰りは銀座へ。「日本を動かしているのは、我々だあ!」といった勘違いする社員が増えちゃったら、泣いちゃいますよ。