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日産の欧州EV「マイクラ」に希望「Be-1」再現のオーラと衝撃

 「やったね!日産」。久しぶりに声をかけたくなりました。6代目「マイクラ」です。見た目は英国の名車「ミニクーパー」を彷彿させますが、電気自動車(EV)として生まれ変わっただけにボディーは、まるで近未来から到来したかのように煌びやかに輝き、とってもクール。40年近く前、日産自動車が1987年に放った「Be-1」の衝撃とオーラを感じます。

まだ時代をリードできる?

「日産にはまだまだ時代をリードするクルマを創造できる力があるじゃない」。経営再建で七転八倒して迷走する姿を寂しく見ていただけに、なんか希望が湧きました。

 マイクラは日産が1982年10月に発売した1000CC小型乗用車です。日本と欧州の市場を睨んで開発され、日本では「マーチ」、欧州では「マイクラ」の車名で投入されました。当時、日本車の1000CC市場といえば、割安で故障しない質実剛健のイメージ。そんなイメージをかなぐり捨て、「マーチ」「マイクラ」は欧州車と遜色ない洗練さと香りを放つちょっと異色のテイストが持ち味でした。

初代マイクラはBe-1のベース

 そのDNAは1987年に登場して大ブームを起こした「Be-1」で花開きます。「マーチ」をベース車にしながら、丸みを帯びたボディに斬新なデザインを施し、遊び心満載のクルマに変身したのです。すぐに派生車が相次いで登場、パイクカーという流行語まで生みます。

 幸運にも開発途上の「Be-1」を日産の研究所で見かけたことがあります。開発担当者は「日産がどこまで遊んでクルマを作れるかをみんなで競って試してみたら、Be-1が出来上がった」と笑っていました。

 今から振り返ると、日産の開発陣がとても自信を持ち、楽しそうに仕事をしている時代でした。欧州車の背中を追いかけてきた日本車の開発力が世界レベルで1段階も2段階もステップアップし、肩を並べる寸前にまでたどり着いたのかもしれません。それからまもなくして、トヨタが高級ブランド「レクサス」でベンツを驚愕させたのも当然でした。

 自信と勢いを体現したのが1992年に登場した2代目「マーチ」。丸みを帯びたボディに使い勝手の良い小型車は、日本と欧州でカーオブザイヤーを受賞します。日本車の高い品質は世界で評価されていましたが、欧州車メーカーと比べ平凡なデザインで、乗っていても楽しくないと酷評されていましたが、見事に覆すことに成功しました。

日本にも投入して新たなEVブームを

 6代目マイクラは、ルノーとの協業の下で誕生したEVです。ロンドンの日産デザインヨーロッパでデザインされ、世界で人気のSUVを感じるデザインと高級感を表現しました。「カッコよくて、なおかつカワイイ感じ」と日産が自画自賛するのもわかります。14種類の外装色の組み合わせによって、自分なりの個性を訴えられますし、タイヤが18インチホイールというのですから、小型車の枠を超える自己主張も強い。EVの航続距離は最大408キロ。悪くない水準です。カーナビなどクルマに備わる「人工知能」はドライバーが思い描くドライブスケジュールを提案してくれます。

 日産は2025年3月期で6000億円を超える赤字を計上、国内外で7工場の閉鎖と従業員削減を計画しています。窮地に追い込まれた主因は、「売れる車がない」とのボヤキにつきます。果たして、そうだったのでしょうか。ハイブリッド車の品揃え不足が北米などでの敗因といわれますが、「e-POWER」という素晴らしい駆動系を活用しきれなかったのが失敗だったと思っています

 「売れるクルマ」はあるのです。6代目のマイクラも突然変異で誕生したわけではありません。日産は素晴らしい車があっても、不甲斐ない経営者のズレた経営戦略が足かせとなり、赤字に向けてオウンゴールしているように見える時があります。

「Be-1」が大ヒットをかっ飛ばした時、トヨタは頭を抱えていました。「このテイストのクルマが続いたら、小型車でトヨタは日産に負けるかも」。でも案の定、販売が不得意な日産ですから、「Be-1」などパイクカーブームを活かすことができず、いつも通りに販売不振へ。

 今度こそ「マイクラ」を日本市場にも投入して、新たなEVブームを産んでほしい。トヨタやホンダのEVよりもずっと可能性を感じます。

◆ 写真は日産自動車のHPから引用しました。

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