焼き鳥Good Day 阿佐ヶ谷の精肉店・鳥安 夫婦が奏でるプロの技と風景が恋しい
JR中央線・阿佐ヶ谷駅北口を出て左手方面に向かって歩くと、すぐにスターロードという商店街があります。細長い通りに八百屋、飲食店などが立ち並んでいます。駅前ローターリーから10分も歩けば通り抜けてしまうくらいの通りです。今も昭和がぎっしり詰まって残るロードです。
私にとって東京は阿佐ヶ谷です。高校卒業後、田舎から上京して姉と兄が住んでいた阿佐ヶ谷のアパートに入り、社会のイロハを学びました。部屋は6畳と4畳半。1日のルーティンはほぼ同じ。朝起きてコーヒーを飲み、お昼ごろNHK・FM「バロック音楽の楽しみ」を聴きながら、ちょっとだけ勉強。午後3時に徒歩3分の「天徳湯」(現在は天徳泉、当時は天徳湯だと記憶しています)へ。ちゃんちゃんこを羽織って下駄を履いて向かいます。銭湯の初心者です。シャワーヘッドの使い方が下手で周囲の人にお湯をかけてしまうこともたびたび。肩に入れ墨が彫り込まれたおじさんから「お兄さん、シャワーはこう使うんだ」と教えてもらいます。「東京は周囲に注意しながら生きていかなければいないのだ」と何度も肝に銘じます。
今は天徳泉の名前です。
お風呂の帰りはすぐ横の八百屋さんで買い物。キャベツをかならず買います。店の天井からぶら下がっている網かごからお釣りを取り出す親父さんの流れる所作に憧れました。時々、近所の豆腐屋さんや駅前の西友で食材を補充しますが、献立はほぼ同じ。千切りのキャベツとベーコンエッグ。お味噌汁は豆腐とねぎ。一年間、キャベツとベーコンエッグ。今でもベーコンエッグは料理の黄金比だと確信しています。当時の食費はお米代も合わせて月1万円ちょっと。
当時住んでいたアパート近くの豆腐屋さん、40年過ぎても味も店舗も変わりません。
切り詰めていたにもかかわらず、酒にはなぜかお金を使います。お金がなくてもたばことお酒に使う不思議な世界はよく理解できます。午後10時を過ぎたら駅前の屋台へ。スターロードは毎夜通るのですが、通りのお店は当時の私にとって高嶺の花。立ち寄る時は兄と一緒の時で、うなぎの肝刺しがうまいお店です。今は同じ場所でおでん屋さんが頑張っています。あまり縁がなかったのですが、気になるお店がありました。精肉店の鳥安でした。
お父さんとお母さんがいつも忙しそうに働いています。お母さんは店頭で並んで待っているお客さんから注文を聞きながら焼き鳥やコロッケ、生肉の何グラムと手際良く包装し、代金を受け取っています。その後ろではお父さんが肉専用の細長い金属棒で包丁を研ぎながら、大きな肉の塊を切り分けます。2人の会話はほとんどありませんが、清水が流れるようにスムーズにすべてが進んでいます。美しい。
この風景を見るのが大好きでした。実は青森市の親戚が生肉店を経営しており、ねぶた祭などで遊びに行った時は手伝いをしていました。切り分けた鳥肉を串に何百本も刺したり、一緒に配達したり。たいしたことはできないのですが、牛、豚、鳥の部位の違い、精肉に必要な経験と知恵など精肉のおもしろさと大変さを間近に見ることができました。
精肉店は朝早くから牛の体半分を包丁で切り分けて売り物の肉に切り分けた後、お昼から夕方まで店頭販売や配達などが続きます。夜になっても翌日の仕込みが待っています。休む間はありません。夫婦の役割分担といえば簡単ですが、まさに以心伝心の域にならないと気力も体力も持たない商売です。鳥安のご夫婦を見ると、いつも青森の親戚の精肉店を思い出します。所作や姿が丸切り同じ。再現ドラマのようです。
鳥安に足繁く通うようなったのは会社勤めして給料がもらえるようになってからです。鳥の唐揚げ、焼き鳥がめちゃくちゃうまい。タレがほどよい甘さで、お酒を飲まずご飯のおかずとしても最高。メンチカツ、コロッケも必須です。その後、巨人軍の長嶋茂雄さんらメンバーがすき焼きを食べる老舗の芦屋市の精肉店でメンチカツ(現地ではミンチカツ、ヒレカツはヘレカツと呼びます)を食べましたが、ぜんぜん負けません。しかも鳥安の価格は半分。近くの小料理店の女将が言っています。「鳥安さんの鳥肉は他の店と味が違うんだよね」。
以来30年以上、スターロードを通ったら、鳥安で鳥の唐揚げ、、焼き鳥、メンチカツ、コロッケを買い続けました。いずれも鳥安でしか味わえない逸品です。お店で並んでいたら、目の前の小学生が一言。「手羽を塩で」。まあ、若いのに味を知っている。笑うしかありません。
そのころ、鳥安のお母さんは腰がほぼ90度近く曲がっていましたが、鳥の串をオーブンに入れるなど他の作業をしながらお客さんの注文、現金の受け渡しと所作に渋滞はありません。閉店時間が近い時は、唐揚げや焼き鳥を一本サービスしてくれたことも。なぜか涙が出るぐらいうれしかった。で、お父さんといえば、いつも黙々と精肉に励んでいます。お母さんとお父さんが次々とこなしていく仕事の風景は、精肉店のプロの技しか奏でられないものでした。
でも、年月は過ぎます。私が上京してから40年も過ぎれば、鳥安のお母さんとお父さんも同じ年月を重ねます。お母さんが店頭に姿を見せない日が増えてきました。いつまでもと思いますが、やはり閉店のお知らせの張り紙を見た時はあの唐揚げと焼き鳥とメンチカツとコロッケ・・・の味の記憶が蘇り続けます。
青森の親戚の精肉店も閉店になっていました。肉切り包丁を研ぎながら、大きな牛の半身を解体します。それがおいしい精肉になり、おいしい生肉やコロッケやメンチカツになります。鳥肉は何本食べても飽きない焼き鳥になります。お母さん、お父さんのすべてが他とは比べようもない味になります。閉店近く、張り紙には通い続けたお客さんからのお礼の言葉が書かれていました。思いは行数じゃないと改めて思います。