自然と人間の「ともぐい」北海道の美味も満載「鰈はホントうまい」
河崎秋子さんの小説「ともぐい」(新潮社)を読みました。繊細に言葉を選びながら、極太な文章を組み立てる筆さばき、最後まで読ませる構成力に脱帽しました。直木賞を受賞するだけありますね。
主人公は北海道東部の山奥に籠もる猟師。村田銃と経験豊かな賢い猟犬を信じ、羆(ヒグマ)、エゾシカなどを狩る生活を送っています。狩猟した後は毛皮、肉、内蔵と仕分けて背中に担いで山を下り、白糠町の商家に販売。そこで得た金で米や銃弾を購入して再び山に戻り、猟に向かいます。東北地方で有名な秋田のマタギ」と違い、集団で獲物を追い込む巻狩りをせず、単独で獲物を追いかけます。ヒグマと一対一で対峙し、命をかける。時には辟易するほど強い個性を発散する人物として描かれています。
主人公はゴールデンカムイと被る?
風貌は小説ですから想像するしかありませんが、どうしてもゴールデンカムイに登場する猟師、二瓶鉄造とイメージが重なります。連射できず、一発のみの弾丸で必殺する村田銃を背負い、忠実な猟犬と歩む。う〜ん、そっくり。「ともぐい」は初出が小説新潮2022年8月号からですから、作者の河崎さんもゴールデンカムイの存在を知っているはずです。だからなのでしょうか。物語の主人公、熊爪は「二瓶鉄造」のイメージを蹴散らすかのような迫力でグイグイとヒグマとの対峙に突っ走っていきます。
物語は終始、直截的な表現が続きます。解体風景、狩猟の興奮、男女のやり取り。鹿、ヒグマ、人間が発する体温を感じますが、つまらない感傷すべてを肉厚のナタで切り落とし、そして削り取ります。人間、ヒグマいずれも小説を彩る素材としてそのまま丸裸になるものの、物語の行方、結末は読者の期待通りに向かうところに作者の優しさを感じました。
読みながら唾が出てくる
意外だったのは、小説を読みながら唾がよく出てきたことです。北海道の味を感じたのです。熊や鹿の解体シーンは実際に間近に見えているかのような描写が続き、血の滴り、筋膜がついたままの肉の塊、毛皮と筋肉の間にある脂などが網膜に焼き付きます。「人間も獣も生きるために食うが、本当に美味いものとは何かを知っているか」。作者は小説の通奏低音のようにこう問い続け、北海道の味を改めて提示しているのではないでしょうか。
そんな問いかけを感じた下りがあります。主人公の熊爪は山から仕留めた鹿を背負い、白糠の街へ下り、馴染みの商家に訊ねる場面でした。店主の井之上良輔は熊爪を可愛がっており、宿泊して一杯飲もうと誘います。
「まあいい。布団で寝るのが気にならないぐらい酔っ払ってしまえ、酒は好きだろう。飲みたいだろう。肴も悪くなかろう。昨日、前浜で上がった畳一畳ほどの鰈を漁師が持ってきてな。昆布締めにしておいた。美味いだろう」
「ああ。川の干魚良い、美味い。全然違う」
熊爪がそう言って皿を持ち上げて鰈を口に流し込むと、亮介はまた笑った。
「ともぐい」から引用
宿泊して酒を飲ませる誘いに鰈(カレイ)を使うのが心憎い。熊爪が狩猟した鹿肉を使わず、カレイの旨さで引き留めようとするのです。北海道のグルメといえば、テレビなどで必ず登場するのがウニ、カニ、エビ、イクラ、サーモン。最近のジビエ人気でエゾシカや熊肉も話題になります。ところが、ともぐいは、カレイを選びました。海や山の美味いものを食い尽くしている人間でも、思わず目の前に出てくれば食いついてしまう。カレイにはそれほどの魅力があるのです。
「カレイがうまい」に納得
北海道函館市で育った人間としてはとてもうれしい。母親がカレイが大好きだったこともあったのか、食卓のごちそうはカレイ。煮付けにしても焼いてもうまい。刺身はなおうまい。昆布締めもあったかもしれませんが、子供にその味はわかりません。ところが、大学受験で上京して以来、カレイが美味い魚だと言う人と出会う機会はそうありません。鰈に似た?鮃(ひらめ)の方がきっとランクは上でしょう。
カレイの場面は単行本「ともぐい」の39ページにあり、かなり早い登場です。作者の河崎さんは「これから読者の皆さんが気づいていない美味い食べ物がたくさん出てきますよ」とお知らせしたかったのではないか。こうと受け止めました。勘違いだったら、ごめんなさい。
北海道の農水産物は美味しい、美味しいと褒められます。デパートやスーパーのイベントで最も高い集客力を期待できるのが「北海道物産展」。この事実がすべてを証明します。ただ、かつては揶揄されることもたびたびでした。「切って焼くだけでしょ」。素材に力があるため、北海道の料理は多くの手を加えません。和食を代表する京都料理のように多くの工程を経て、美しい料理に仕上げることは稀でした。寿司やフレンチ、イタリアンなどで繊細な味付け、飾り付けで高い評価を集めるようになったのはつい最近ではないでしょうか。
食べることは命の継承
生きることは食べることです。秋田のマタギ、北海道のアイヌは猟で山に入る時、かならず自然と神に感謝します。動物、植物の生命をいただき、自分らの命を繋いでいく。自然の理です。「ともぐい」は、人とヒグマの闘いを通じて自然と人間が互いに食い合い、命を継承する物語なのでしょう。結末に至るまでにヒグマ同様、人間同士も闘い、多くの人命を失う虚しさも味わさせてくれます。それも生きるための「ともぐい」なのでしょうか。