捨てる野菜あれば、拾う野菜あり 生かすも殺すも料理次第 葉っぱもおいしいよ
会員制農園があちこちに増え、すっかり定着したなあと感じていたら、人気タレントが稲や野菜を栽培するテレビ番組が登場しました。野菜を育てるポイントを教えるNHKのEテレとは違い、田や畑の耕作地を手入れし、種を蒔き、収穫するストーリーを一種のエンターテインメントに仕上げています。手作業で稲刈りしたり、収穫した野菜を選別したり。農家さんの助けを得ながら、自ら栽培した野菜を食べ、「おいしい」という語る表情はプロのタレントが演じているとはいえ、こちらも「本当、おいしいよね」と思わず頷いてしまいます。
実際、収穫直後の野菜は調理せずにそのまま生で食べても、本当に美味しい。例えば小松菜。いつもなら炒めたり、湯通ししてお浸しにしたりと一度何かしら手を加えますが、畑で収穫した直後に食べると甘味がちゃんとジワリと出てきます。ほうれん草もイケますよ。小蕪(かぶ)なんて、もうハンバーガーのようにガブリと食べると、歯応えが柔らかく、なんとも言えない甘みが滲み出てきます。収穫した後、土を水で洗い流していると、野菜の肌がキラリと光る時があります。「食べてみたら」と囁きかけてくるようです。なかなか艶かしい。
そう一人合点してたら、散歩がてらに他の会員制農園の作業場を眺めていると、とても残念な風景を見かけることがあります。いや、「もったいない」という表現の方が適しているかもしれません。食べるとおいしい茎や葉をバッサリと切り、捨ててしまっているのです。
畑で作業している時の会話は障害物がないせいか、意識しなくても耳に届きます。「この人参は髭が多い。変かもしれないから捨てる」「根に近くで育ったトマトや葉物には畑の土がたくさん付いているから、汚い」など予想外の会話が聴こえてきます。人参の髭は見た目は悪いかもしれませんが、さっと切り取れば良いだけ。風や雨で畑の地面にペタッとついてしまった野菜は確かにたくさんの土が付いている場合が多く、見た目は食欲を失ないますが、水で洗い流せば”元の野菜”に戻ります。
当たり前のように捨てられるのは、大根や蕪の葉。かなり立派に育ちし、大根の丈よりも大きく長い立派な葉が茂っているのも珍しくありません。私は大根や蕪の葉が大好物。刻んでお味噌汁の具にしたり、塩昆布や胡麻油などと一緒に炒めてご飯にトッピングして食べたり。最近は試しに生姜と酢を漬けたガラス瓶に蕪の葉をぎゅっと詰め込んでみたら、ピクルス感覚でいけることを発見しました。
しかし、まだ少数派のようです。畑のゴミ箱を見ていると、大根や蕪の葉の多くは切り捨てられています。まだ新鮮だったら、誰も見ていなければ拾って持って行こうかと時々思います。以前、あるご夫婦が「大根の葉はどうする?」と尋ねた旦那さんに「私に何をやれと言うの」と答え、大根の葉を青首からバッサリと包丁で切り落としたシーンを見たことがあります。ギロチンを思い出しました。
驚いたのはサラダに使う野菜類。育ち過ぎたと勘違いしたのか、美味しい葉や茎をそのまま捨てている人もいました。「え〜、そこ旨いのに」と再び拾いたくなりました。
大根の葉などを切り落とす気持ちは理解できます。スーパーや八百屋さんの店頭ではきれいに処理され、並んでいます。人参の髭もそうです。髭ボウボウの人参は売られていません。野菜の表面に土が残っていることなんて、あり得ませんし、あったら即返品でしょう。
会員制農園などで野菜を育てる経験をしても、野菜を選別する目線は日常生活で見慣れた「見た目」に囚われるのは仕方がないのでしょう。でも、本来おいしいところを食べずに捨ててしまっているとしたら、もったいないことです。
これまでなら規格外として店頭に並ばなかった野菜や果物がネットや店頭でも販売され、好評を博しています。ある料理番組で小蕪の葉を調理するレシピを教えていました。やはり刻んで「ふりかけ」として食べる料理でした。手軽に一味加えるだけで、これまで捨てていた部分もおいしくいただける。ネット上では色々なアイデアが紹介されているはずです。どうやったらおいしく食べられるか。知恵の輪やゲームを楽しむように考えるのも、野菜を栽培する醍醐味の一つ。
せっかく野菜を栽培したのですから、極力すべての部位をおいしく食べたい。土の中から芽を出し、実ってくれた野菜への恩返しです。