3月11日、はこだて未来大学で感じた「山本理顕の世界」

 2011年3月11日午後2時46分、函館市郊外の「公立はこだて未来大学」の玄関を出た瞬間でした。大きな揺れを感じ、地震かと思ったのもつかの間、揺れはどんどん大きくなり、後ろを振り返るとガラス張りの大学の校舎全体が巨人にわしづかみされて右に左に揺さぶられているように見えます。壁面のガラス表面が歪み、反射する太陽の光がやけに眩しかったのを覚えています。地震の揺れは止まらず、いつまで続くのかと怖くなったものでした。

東日本大震災は、はこだて未来大学で体感

 東日本大震災から13年を迎えます。3月11日の記憶でかならずよみがえるのが、はこだて未来大学。巨大なマグニュードで引き起こされた大地震で大学校舎のガラス壁面がコンニャクのように揺れ続けた風景です。

 地震直前の1時間以上、大学を取材し、校舎内を回りました。大きな壁や仕切りはほとんどなく、1階と2階は吹き抜けの大きな空間となっており、どこの場所からも全体を見渡すことができます。2階のテラスから1階フロアを歩く友人を見つけたら、「お〜い」と声をかければ、「そこに居たのかよ」とすぐに返ってくる感じです。教室もガラス張り。廊下を歩きながら授業を見ることができます。実際、学生はいくつもの教室を渡り歩き、自由に出入りすることもあるそうです。

校舎は「すべて筒抜け」

 「すべて筒抜け」。こんな表現が適当かどうかわかりませんが、はこだて未来大学を充満する空気は、透明な塊で占められている印象でした。経営学の用語に例えれば、「見える化」でしょうか。大学内の研究、議論など知的活動を誰でも共有でき、刺激し合うことができる仕掛けが大学校舎のレイアウトに隠されていました。大学名の「未来大学」を体現した建築に圧倒されました。

 卒業する学生の評価も高いそうです。吹き抜けの大きな空間でガラス張りの校舎で育てば、自由な発想で研究し、議論する癖が当たり前になっているのでしょう。ネットや人工知能などで大きく世界が変わり始めたころでしたから、情報技術の大手企業などからみれば貴重な人材に映るはずです。残念なのは、地元の函館市で受け皿となる企業が少なく、多くは東京など本州へ行ってしまうこと。

 公立はこだて未来大学を設計した建築家の山本理顕さんが「建築界のノーベル賞」と呼ばれるプリツカー賞を受賞しました。日本人受賞者は、丹下健三、槇文彦、安藤忠雄、妹島和世・西沢立衛、伊東豊雄、坂茂、磯崎新に続く9人目だそうです。国内外で素晴らしい建築物を手がけていますが、はこだて未来大学は代表作の一つに選ばれています。受賞の理由として「建築を通じたコミュニティ創出」が指摘されていました。とても納得します。

コミュニケーションの可能性を引き出す

 はこだて未来大学は1999年に完成し、日本建築学会賞など多くの賞を受賞しています。大学のホームページでも「壁のない開放的な空間は、未来大らしさの原点であり、代名詞です。コミュニケーションの可能性を最大限に引き出す『互いが見える』キャンパスは、真に開かれた未来大らしい学びの実現に必要不可欠なものとなっています」と説明しています。

 

◆写真は公立はこだて未来大学のHPから引用しました。

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