マオリの信仰が込められた木像

アイヌ、アボリジニ、マオリ(その3)マオリも八百万の神かな?

 南太平洋を飛び回りました。パプア・ニューギニア、ナウル、タヒチ、西サモアなどなど。地球儀を眺めると黒ごまの点々にしか見えない南の島々ですが、多くの人々が生活しています。何千年の歳月を重ねた歴史と文化があります。私が南太平洋の島々へ渡る時は飛行機を利用するわけですが、かつてポリネシアの人々はカヌーで大洋を渡りました。遠目にも土地が見えない島々に向かってどう漕ぎ出すのか。ポリネシアの人々は星座などを参考にした精緻な海洋図を持っており、島々それぞれの行き来は今では想像できないくらい活発だったようで、各島の情報は現代の光ファイバーのようなスピードと正確さで伝わっていたといいます。アウトリガーを付けた大きなカヌーで大波を漕ぎながら、隣人に会うかのような感覚で1000キロも離れた島に向かう姿には圧倒されます。私たちが太平洋の島々はそれぞれ孤立しているという勝手な思い込みを根底から覆すものです。

日本人がなぜマオリに興味を持つのか

「日本の記者がどんな興味を持って私たちを取材するんだ?」南の島を回っているとよく質問されます。ニュージーランドのマオリ向けメディアを訪ねた時も同じ質問を受けました。彼はマオリ語と英語を併用したラジオと雑誌を手掛けていました。「日本の北海道にはアイヌという先住民がいる。英国がニュージーランドを植民地にしてからマオリが経験した歴史が北海道で育った私には日本がこれから何をすべきかのかを考える参考になるのです」模範回答のように見えますが、ホントです。でも、もっとシンプルな動機はあります。ポリネシアン、マオリは格好良いと思いませんか?日本人がとてもかなわない素晴らしい身体能力を備え、あの太平洋を縦横無尽に動き回る行動力と勇気に敬服しませんか?さらに英国植民後の差別や失業など厳しい現実に直面しながらもマオリの威厳と自らの文化を守る姿勢は感動させれられます。もちろんマオリの人全員がラグビーのオールブラックスのメンバーと同じわけはありません。ニュージーランドを訪れた1990年台半ば、貧困と暴力に喘ぐマオリを描いた映画「Once were worriers」が上演されて賛否の声が出ていましたが、この映画はかつて誇り高かった戦士の子孫がなぜ?という問い掛けが主題でした。

 先ほど紹介したマオリ向けメディアが発行する雑誌名は「MANA」といいます。マオリ語で尊厳とでも訳すのでしょうか。お金よりも重要な価値観を意味し、人間として尊敬される行いから生まれると理解されているようです。英国に土地を奪われ、雇用機会や学業で白人との差を埋めきれない。当然、所得格差は歴然です。しかし、日常の生活でマオリとしての尊厳は忘れるな、という思いが込められているのでしょう。

 マオリの歴史・研究のことなら「この人に会いなさい」と推薦されたのがオークランド大学のランギヌイ・ウォーカー教授でした。教授はオークランド市内のマオリの集会場などを一緒に訪ね歩き、「日本には八百万の神という言葉があるでしょ。マオリも同じ考え方。自然の至るところに神々がいるんです。そこにも、あそこにも」と日本各地にある陰陽石と似たマオリの彫像などを指差します。「きっと日本の神道とマオリの信仰の根底は同じかもしれないよ」と笑います。

 ネパールのカトマンズ郊外を訪ねた時、周囲の風景があまりにも既視感が強く「自分の祖先はネパール出身だ」と確信したくらいですから、さすがに自分は憧れのポリネシア人、マオリとも近いのかと勘違いすることはありませんでしたが、日本各地にポリネシア人と同じ顔した人がたくさんいることに納得できました。ウォーカー教授とは大学構内の食堂に向かい同僚の皆さんと一緒にビールを飲み交わしました。初めてお会いしたにもかかわらずとてもフレンドリーに応対してもらい、心が温まるとはこういうことかと痛感したものです。とても楽しかった。

英国女王はマオリに謝罪 「われわれの土地」とプリントされたTシャツ

1995年、エリザベス女王はニュージーランド戦争での英国植民地軍のマオリに対する不当な扱いについて公式に謝罪しました。しかし、差別や貧困に追われるマオリの人々が多い現実は変わりません。その頃、ニュージーランドの地方都市で起こった公園の不法占拠事件を取材しました。数十人のマオリがこの土地は元々はマオリの土地だと主張し、私有地として出入りを制限したのです。公園玄関と思える場所にはテントを張っていました。あらかじめ電話でアポを取っていたので訪れると歓迎の儀式を行うので指示に従ってくれと言います。敷地内に入ると、10メートル先に男性が立っておりマオリ語で滔々と挨拶を述べています。マオリ語なので詳細はわかりませんが、後で聞くと客として迎える旨を宣言したそうです。ぐるりと円を描くように歩いて男性や家族の皆さんと鼻とおでこをこすり合わせるマオリ独特の挨拶を繰り返し、儀式は終わります。その後は気軽に話したりシチューを食べたり。資金がないからTシャツを買ってくれと頼まれもしました。リーダーの男性には「権利の主張は理解できるがニュージーランドの法律に違反しているのも事実。逮捕されるんじゃないか?」と質問しました。彼ははっきりと言います。「覚悟はしている。しかし、われわれの土地であることを言わなければいけない」。購入したTシャツの胸にはマオリ語で「われわれの土地」と書いていました。

20年後、マオリの誇りを忘れないジャーナリストとの出会う

それから20年ぐらい経過した2010年代、仕事を通じて世界の有力経済メディアの欧州編集責任者と親しくなりました。彼はマオリで、奥さんもマオリ。欧州の著名な新聞に就職したのですが、その新聞社はオックスフォード大やケンブリッジ大を卒業した「blue blood」じゃないと出世できないからと米系メディアに転職したそうです。現在はそのメディアで欧州とアジアの総責任者です。ジャーナリストとしての、そしてマオリの誇りを常に忘れないとても素敵な人物です。

話は、ウォーカー教授に戻ります。20年以上前にお会いした後、別れ際に「次は一緒に釣りに行こう」と誘ってくれました。釣った魚を料理しながら大好きなビール「スタイラガー」を飲む。これこそニュージーランドです。最近ネットで調べましたらウォーカー教授は2016年に亡くなっていました。本棚にある教授の本「Struggle without end」はまだ読み切っていません。

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