原発再稼働があぶり出す「40年超なにも変わらない」体質、原発事故の教訓はどこに
安全運転などソフトウエアともいえる面でも課題は山のように残っています。つい最近でも東電の柏崎刈羽原発での不祥事で東電に対する不信感が吹き上がっていますし、東電以外でも関西電力の「原発の闇」ともいわれている不透明なカネの流れを持ち出すまでもなく、電力会社や国が原発に対する安全性や信頼感を住民から得る反省と努力ができているかの検証が必要です。謝るだけでは前に進んではいけません。
そこに「再稼働後は50億円を支払うから」。1970年代いや1960年代の原発推進の掛け声が山びこのように戻ってきたのかと勘違いしました。安全性の論議についても新基準に合っていれば大丈夫というのでは2011年以前と変わりません。なにしろ原発事故はあり得ないといわれていたのですから。
重要なのは現在の安全性は担保に過ぎず、国も電力会社も常に最先端の技術と見識をもとに改良する努力を続ける本当の意思を示すことです。福島県の浜通り地区の皆さんから50億円を支払うなら再び原発を建設しても良いという声が生まれると思いますか?国や電力会社が繰り返し繰り返し言い続けた「事故はあり得ない」という原発の安全神話を信頼したばかりに非情な現在があるのです。
原発の安全政策は東日本大震災より進んでいるのか
国会事故調や民間ベースの福島原発事故独立検証委員会などで多くを指摘されました。にもかからず福島第一原発運転開始から50年過ぎた今、何も変わらない体質を改めて目の前に突きつけられました。原発政策の現状が10年前の福島第一原発事故から1秒も進んでいないことを思い知らされます。