「有識者」の不思議 政府の「見識」は国民の「良識」とならず

 10年以上も前に同じ疑問を思っている人がいることに安心しました。でも、その疑問が今も解消されていないことに不安を覚えます。

野田正彰さんのコラムに同感

 野田正彰さんの著作「現代日本の気分」(みすず書房)の一節「何のための歴史対話」を読んだ時でした。野田さんは精神科医で評論家、ノンフィクション作家と幅広い活動をされており、「現代日本の気分」は信濃毎日新聞で連載したコラムなどを主にまとめ、2011年7月に出版されました。

 「何のための歴史対話」は2010年3月5日付けの新聞に掲載されました。その年1月に発表された「日中歴史共同研究」の報告書について触れ、書き出しで「始まりに歪みがあったとしても、そこからある報告書が出されたとき、いかに評価すればよいのだろうか」という疑問符を投げかけます。

2010年の日中歴史共同研究でも有識者

 この共同研究は日中両国の戦争などの歴史認識についてのわだかまりを確認するため、2006年12月から共同研究委員会を設立して4年間かけて2009年末に報告書がまとまりました。内容は委員会メンバーの個人的な意見として公表され、政府の見解とはなっていません。

 野田さんは、読後の印象を次のように表現します。

いくつかの日本のマスコミは、戦後史部分が中国側の要請で非公表になったのは政治から逃れられなかったためであるが、多くの歩みよりがあり、さらに前へ進むように評価するというものだった。共同研究のメンバーも、引き続き第二期の共同研究へ発展させると言っている。こうして既成事実が積み上げられている。

 野田さんは続けます。かつて侵略し侵略された両国が共同研究するのは日中政府の発案ではなく、ドイツの1人の教師が1956年ドイツとポーランドの歴史を再検証するために提案したのが始まり。歴史を検証する研究者は政府が選択した「有識者」でない、と。求められるのは政府の意向ではなく、冷めた第三者の視線で歴史を振り返り、関係者が議論することです。

 実は2ヶ月前の2010年1月8日、野田さんは同じコラム記事で日中共同研究の日本側委員を手厳しく批判しています。「日中戦争による中国民衆の被害を研究したこともない政治学者や歴史家」と評し、委員として選んだ自民党・政府にあきれ、日中のわだかまりを取り除く好機を失ったことを嘆きます。

「有識者」は光圀の御印籠か

 「有識者」という言葉には独り歩きする魔力があります。政府が政策の方向性を論議する際、幅広く意見を集める方式として有識者会議を設けます。会議の結論は公正中立な第三者の意見が集約されたという前提のもと、政策の骨格を成す場合が多いのです。

 確かに有識者には神通力を感じます。広辞苑によると、有識者の定義は「その分野に精通し見識の高い人」。まるで水戸光圀の御印籠のように多くの人がひれ伏す響きをもっているのでしょう。野田さんが不適格と指摘した日中歴史共同研究の日本側委員の見識をどう評価するのかは、様々な視点があるでしょうが、ここで重要なのは、誰が「精通し見識が高い」を評価するかです。

 政府が「有識者」の選定を通じて、その神通力を政策決定の会議で都合の良く濫用するなら、本来の「見識」を期待するわけにはいきません。学者や専門家に対しても失礼です。

有識者として選ぶのは誰か?

 しかし、直近の政策論議を見ると、「その分野に精通し見識の高い人」が召集された有識者会議が政府が政策決定する隠れ蓑に使われているとしか思えません。

 例えば防衛力の強化。日本国憲法の下、専守防衛を貫いてきた安全保障政策は大きく舵を切り、ミサイルなどによる敵基地攻撃能力を高めるため、政府は新たな増税案を固めました。その方向性を定めたのが内閣官房の「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」。メンバーは金融機関、マスコミ、財政学者らが主力。せめて防衛や軍事の専門家がもう少し参加してもよかった。

 有識者のメンバーについては内閣官房のホームメージから参照ください。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/boueiryoku_kaigi/pdf/kaigi_kaisai.pdf

 有識者会議は9月末に第1回を開催し、11月下旬の4回目で結論をまとめます。日本の最重要政策である安保戦略をわずか2ヶ月、途中に軍事専門家からのヒアリングを加えた4回の会議で方向性が定めまりました。いくら優れた有識者の集まりとはいえ、拙速感は否めません。

防衛、原発の政策転換に都合よく使われる

 次いで原子力政策の大転換。2011年の東日本大震災による福島第一原子力発電所事故以来、政府は原発の新増設を見送り、再稼働も安全規制委員会などの議論、監視のもと進める政策を堅持してきました。ところが、気候変動に伴うカーボンニュートラル実現、ロシアのウクライナ侵攻に伴うエネルギー危機が原発利用の拡大に向けて政府の背中を押します。

 政策転換の論議の場は脱炭素社会に向けて政府が開催するグリーントランスフォーメーション(GX)実行会議。政府は7月から12月まで5回開催し、提示された意見をもとに新増設、再稼働、次世代炉開発へ180度転換します。会議に参加した有識者は、経済学者、金融機関、電力・石油・商社などエネルギー関連の企業経営者、経済団体と労働組合会長、経営コンサルタント、環境シンクタンクなどから13人が選ばれました。政府の思惑に捉われず、耳に痛いことなど幅広い意見が発せられるメンバーでしょうか。

 GX実行会議については、内閣官房のホームページから参照ください。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/gx_jikkou_kaigi/dai1/siryou1.pdf

 原子力政策はエネルギー安保、脱炭素のみならず、国民生活の安全にも深く関わります。福島県浜通り地域の住民が今も避難を強いられているのを思い出すこともないでしょう。それが2011年以来10年以上も堅持してきた原子力政策が13人の有識者の意見集約で転換方向へ移るのです。こちらは拙速を超えて、傾げた首が戻りません。

有識者会議はブリキの看板に

 なぜかブリキの看板が思い浮かびます。見栄えは美しい。表面はメッキした薄い鉄板ですが、如何様にも美しい絵を描くことができます。一見、アピール度は抜群。昭和のころ、大都市、地方を問わずお店の看板に掲示されていました。今ではアール・デコ風のインテリアとして人気があります。ただ、それは現代とは違う時空を楽しむのが魅力のひとつ。

 有識者会議が政府の政策を伝えるブリキの看板となってしまっているなら、それはまさに時代を見誤った証です。しかも、ブリキの看板の魅力は所々に錆びた渋さにあります。政府が錆びた有識者会議に頼る政策決定の手法に国民が見逃すわけがありません。錆びた看板は早めに下ろしたほうが良いですよ。

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