文化庁の??? 京都移転に7年も 観光庁の違いは 創造力の源泉はどこに
文化庁が京都へ移転しました。中央省庁の地方移転は初めてで、岸田首相は文化財を活かした観光振興に触れ、新たな文化行政を進める契機と強調。都倉俊一文化庁長官は「日本の文化芸術を世界に、そして次の世代に伝える重要な役割を担っている」と挨拶しています。東京一極集中の是正とともに地方創生に弾みがつくと期待されていますが、移転までの過程や意義付けを眺めていると、なんとなく胸の内にモヤモヤ感が漂います。
京都移転にモヤモヤが
その一つ。京都へ移転すると決まってから、実現するまで7年間も経過しています。安倍政権が2014年に地方創生の一環として政府機関の地方移転を表明。その第一弾として決定したのが文化庁の京都移転。2016年3月です。それから2023年3月まで7年間、なぜこれだけの歳月が費やされるのか。霞ヶ関を取材した経験もありますので、いわゆる官僚の仕事に対する”土地勘”は理解している方だと思いますが、それにしても7年間かかるとは・・・。
7年間かかった意味とは
文化庁は他の省庁に比べて予算や職員数が小さいとはいえ、各省庁との根回しや国会議員の対応など霞ヶ関の日常業務に追われているのはわかります。しかし、移転すると決定したら、すぐに実行しなければ移転効果は時間とともに薄れるばかり。時間を経過すればするほど、やはり霞ヶ関に拠点を持たなければいけないことが逆に明らかになるだけです。
コロナ禍で身動きが鈍ったかもしれません。その反面、テレワークや在宅勤務の体験が増え、霞ヶ関との”遠距離通勤”が可能であることもわかりました。対面で仕事する重要性は十分に理解していますが、毎日会うことはないでしょう。今回の移転後も職員の3割程度は東京に残るそうです。東京出張が増えるなどデメリットも指摘されているからですが、7年間かけなくてもすぐにわかることです。7年間の時間がかかったことが不思議です。
京都ブランドに世界への発信力はあるけれど
2つ目の不思議は、日本の文化と京都の位置付け。都倉文化庁長官のあいさつに驚きました。「千年の都から世界に発信するブランド力は非常に大きい」。京都に文化庁を移転した理由として関西地域に国宝の5割、重要文化財が4割が集まるほか、祇園祭など日本古来からの伝統が数多あるからでしょう。
確かに京都は世界で知られています。昔、関西空港の世界的知名度があまりにも低いので、当時の社長が「空港名を関西から京都へ変えたらどうか」と冗談を交えて発言したら、反対の渦が巻き起こったことがあります。海外への発信を考えたら京都。納得します。
だからといって、観光庁のように京都や日本の伝統工芸などを観光資源として世界に発信していくのでしょうか。北海道・東北で生まれ育った人間からみると、違和感、違和感・・・。
地方の文化も忘れないで
言わずもがなですが、日本の文化は関西だけで代表されるものではありません。北海道のアイヌ文化から東北のねぶた、竿燈、七夕の東北の三大祭り、九州、沖縄まで全国津々浦にお祭り、風習があります。「勿来の関から北は蝦夷」と呼ばれていた時代もあり、ねぶたそのものも坂上田村麻呂が蝦夷退治したお祝いですから、東北から北が京都よりも蔑ろにされるのはとても残念ですが、わかります。
日本の文化行政を担う役所が京都に埋没してしまったら、むしろ全国の各地の”文化”はどうなるのか。関係者は十分に承知しているのでしょうが、初日の賑わいを見ている限り、京都一色に染まることに首を傾げます。
1000年後の文化も念頭に
3つ目の不思議は未来の日本文化をいかに創造していくかの視点です。霞ヶ関は昭和の成功体験を忘れらず、新たな挑戦に踏み切れない日本の行政の象徴です。せっかく霞ヶ関から京都へ移転し、横並びのお役所仕事から抜け出すチャンス。伝統を連呼し、日本の素晴らしさを訴えるだけでは、これから1000年後の日本の文化を創造できません。
現代の日本を世界にどう発信していくのか。地方創生の視点に立つならば、これまで過小評価されてきた地方の文化をどう活性化するのか。急速な人口減で地方の風習やお祭りは存続の危機に直面しています。伝統だけじゃありません。伝統を力に新しい挑戦を経て「日本の新しい文化」が生まれるのです。新しい力をどう支援するのか。煌びやかな京都に酔い、地方の厳しい現実を見逃してもらって困ります。
かつて高名な落語家が「国のお世話になっちゃおしめぇだ」と話していました。文化は国に頼るものではない。まったくそう思います。多くの地域、個人が創造し、継承してくものです。創造できる空気、土壌を守って欲しい。1000年後の日本社会が、継承し続けてきた価値に感動し、令和の日本人に感謝する文化が創造できたら・・・。文化庁の京都移転で思い浮かんだ期待です。