日本再生は廃校から 昭和の成功体験は捨て、昭和の挑戦する勇気を思い出す

 日本全国を車で走り回っていると、小学校や中学校の建物だけが残る廃校に出逢います。思わず車を止め、かつての校門や校庭に立つと、目の前に昭和の風景が蘇ります。同級生とふざけ合って笑い転げ、野球やボール遊びに没頭した自分の幻影があそこに。「あの頃は楽しかったなあ」。青空の下を走り回っているだけで、なんか凄いことを成し遂げた気分でした。

廃校は日本経済の負の遺産

 廃校を見るたびに痛感します。1980年代に世界第2位の経済大国を謳歌した日本の負の遺産だ、と。米国に追いつき、追い抜くことに酔った日本は、近未来の日本の衰退を招く人口減という難題をすっかり忘れ、昭和の成功体験が永遠に続くと勘違いしていました。

 出生率の低下は1970年代から始まっていました。高度成長期を忘れられない政府は事実上、傍観しているだけ。当然、1990年代から少子高齢化が顕在化。人口は2008年をピークに減少に転じて加速しますが、取り繕うばかりで後手後手に回る政策が機能するわけがありません。

 若者が地方から東京など大都市圏へする昭和の風景は変わらず、地方の過疎化は加速します。子どもたちの姿が消えた地方にとって、小中学校は余ってしまいます。その結果、学校の統合、あるいは廃校が相次ぎます。廃校を覗いても、誰もいません。でも、もう一度、目を凝らしてください。校舎の長い廊下や教室には、親と共に故郷を離れざるを得なかった子供たちの嘆きと吐息が残っています。

 うれしいのは廃校したとはいえ、元学校は木造でも堅固な構造で建築されていますから、地域のみなさんがていねいに手入れしているところも多く、美術館や住民センターなど地域活性化に使われています。廃校を訪ねるたびに、もっと利用できるのではないと思っていました。

デンマークの家具が旭川市の廃校を買収

 そんな時、北海道新聞でおもしろい記事を見つけました。旭川市の廃校が思わぬ相手によって「再生」するのです。その廃校とは千代ヶ岡小・中学校。中学校が2008年、小学校が2019年に閉校されました。

 閉校から5年後の2024年10月、この廃校を買いたい企業が現れました。デンマークの大手家具メーカー、アイラーセンです。日本の家具専門店では、ソファーなどが高い人気を集めています。中国に生産拠点を持っていますが、アジアで2番目の工場として旭川市の廃校を活用する計画です。

 日本は北欧の高級家具が高く評価され、ソファーや椅子などが堅調に売れています。アイラーセンとして一段と開拓したいという思いがあると思いますが、それだけではありません。旭川市は日本でも有数の家具生産地であり、優れた技術を持つ人材が多くいます。しかも、旭川市の家具メーカーは北欧製品と肩を並べる高級品に力を入れており、アイラーセンが生産拠点を構えても高い品質を維持できる場所が旭川市だったのです。

 千代ヶ岡小中学校は、学校としての機能は失いましたが、旭川市の家具産地の力によって再び活躍する機会を得たのです。

北杜市は宇宙ゴミの監視

 山梨県北杜市では廃校を使って宇宙ビジネスに進出する動きも現れました。宇宙空間の解析事業をめざすベンチャー企業のエルサステック(東京)が元・高根清里小学校の校庭に光学天体望遠鏡を格納した直径約3メートルのドーム型施設を造る計画を発表しました。

 地球上を取り巻く宇宙空間には人工衛星の破片などの宇宙ごみが増え続けており、運用中の人工衛星などに衝突する危険性が高まっています。廃校となった校庭に設置する望遠鏡で蓄積したデータをもとに軌道解析力を高め、宇宙ごみを監視して人工衛星などとの衝突を防ぐ技術を開発します。北杜市とは包括連携協定を結び、宇宙に関する教育の推進や、新たな産業を創出したいとしています。

 旭川市、北杜市の廃校で共通しているのは、跡地を利用するというものではありません。学校は地域の人材、技術、自然によって維持してきた歴史があるからこそ、次代につながる新たなアイデアと挑戦を招き寄せたのです。

 日本各地には昭和から築き上げた多くの資産が有効に使われずに残されています。廃校はその一例に過ぎません。人工知能など目新しい話題に振り回されず、足元にある自らの強みを再認識して、日本を再生する。スタートはここからです。

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