JR宗谷線名寄→稚内・至福の4時間 (下)無人駅、稚内ラーメン、最後は「青い鳥」

 名寄駅からJR宗谷線に乗って4時間近く。「もう少しで稚内駅に到着する」と思い、車窓から眺めたら、2駅手前の抜海駅の駅舎が目に入りました。日本最北の無人駅として知られていますが、2025年3月末に廃止される予定です。ふと、50年前の無人駅での思い出が蘇りました。

抜海駅は25年3月に廃止

 大学入試に失敗した18歳の時、そのまま北海道へ向かい、函館から北上し、稚内やオホーツク、十勝とほぼ一周しました。お金がほとんどなかったので、旅行はヒッチハイクが頼り。多くのトラック運転手に助けられ、サロマ湖周辺まで辿り着いて歩いていたら、通りすがりのおじさんに「家で暖まっていけ!」と呼ばれ、家族団らんの居間へ。初対面なのに、薪ストーブを囲みならが、いつも会っていたかのように和やかに話し、ご飯もいただきました。雑談の中で「あの子、北大に入ったってさあ〜。いがったなあ」と話すのを聞き、「やはり北海道は北海道大学が一番なんだ」が鮮明に残っています。

 「そろそろ出発します」と話したら、「次にどこへ行く?」「電車には乗りたい」と答えたら、最寄りの駅へ車で送ってくれました。駅名は忘れましたが、無人駅でした。「電車はいつ来るのか?」との不安はありましたが、待っていれば来るだろうと真っ白い雪原に浮かぶようなホームで立っていました。吹雪の中、「やっぱり家族が一番なんだなあ」と思い、一人旅している自分自身に戸惑うしかなかった思い出があります。

稚内には最北端の文字があちこち

 稚内駅に到着しました。駅は、映画館、道の駅も入居する「キタカラ」と呼ぶ再開発ビル内にあります。ホームに降りると、最北端の文字があちこちに。以前、訪れた時よりも増えた印象です。ただ、キタカラの雰囲気は変わりません。ピカピカ!稚内にしては大雪が降り、周囲が真っ白になっていただけに、余計にその白い輝きが目立っていました。

 稚内に到着したら、まず向かう先は決まっています。ラーメン店「青い鳥」です。50年前に訪れた時、宿泊したユースホステルを世話していた女性スタッフに「ここは絶対に訪れた方が良いという場所は何ですか」と愚問を投げかけたら、「私なら、青い鳥に行ってほしい」。即答でした。まったくその通りでした。以来、稚内に来たら必ず「青い鳥」に向かいます。

青い鳥はいつも通り、温かった。

「青い鳥」は1951年創業。なんと70年以上も前!現在、お店を切り盛りしている女将は3代目なんだとか。初めて訪れたのは1970年代で、その後も女将の顔が変わったのも覚えていますから、今回で3代すべての女将に会ったことになります。

 久しぶりでしたが、ラーメンの味はほとんど変わっていません。塩ラーメンらしく、透き通ったスープ。表面に浮いた脂のおかげで最後までアツアツ。稚内の厳しい寒さを考えたら、ラーメンは熱くないとだめ。スープを飲み、麺を食べると、「うっめぇ」の言葉しか出ません。

 ラーメンの味も素晴らしいですが、店内の会話がもっとうまい。稚内は珍しく大雪の日が続いていたのですが、お店を入ってきた女性のお客さんに女将さんが声を掛けます。「雪大丈夫だったかあ?」「いや、私、こんなに背が低いから、積もった雪が凄すぎて昨日まで家から出られなかった」。「ギャハハハ・・・」の笑い声が店内をこだまします。

 女将さんは直後に入店した漁師さんにもひと声。「今日、漁に出たの?」「ああ、一応獲ってきたあ」。荒天が続いていたのでここ数日、船は出ていなかったようです。今日の天気なら出航したかと思いやり、一声かけるやさしいやりとりが心に沁みます。ラーメンを食べているわずかな時間で稚内の日々の生活が感じられ、やっぱり「ここには青い鳥がいる」。

 稚内はどのラーメン店がうまい。街角のあちこちに「ラーメンはうまい」が掲げられ、今時のミシュランに選ばれたとかの話題の店も。社会人になって稚内市内を飲み歩き、「水だこのしゃぶしゃぶ」などとてもうまい名物も食べた経験もあります。

稚内は寒いけど、心が温かくなる街

 でも、稚内の記憶は「青い鳥」。塩ラーメンの函館で育ったこともあってか、全国の塩ラーメンを食べても、思い出すのは「青い鳥」。メーテルリンクの童話「青い鳥」をなぞるようですが、やっぱり青い鳥。いつもの味が一番、幸せの気持ちを確認させてくれます。

 宗谷線の終着駅、稚内駅は日本最北端の駅です。寒いです。でも、訪れれば、いつも温かい気持ちになります。

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