浪江駅そばに飲食店が集まっています。

浪江町に戻った輝き、日本の「地方」を照らすか(その2)

ホテルに着きました。開業して1年半ほどらしいので、部屋や施設が新しい。ですが国道6号線に面しているので、大型トラックがすぐ横で走っている騒音が絶えません。それよりも窓口のスタッフはそれなりの年齢の方でしたが、最近採用されたのか研修中って感じでした。そういえば町役場や道の駅で求人案内が置かれており、チラッと見るとホテルの窓口業務などもあったと気づきます。その場でもらってきた求人募集を見ます。浪江町の復興は国や県が主導しているせいか、重機や解体など工事などインフラ関係の仕事が多く掲載されています。農水産業以外で雇用面で見たら、短期で稼ごうという人が集まっているのでしょう。

短期の仕事で浪江町へ来た人も

当然です。大震災からの復興は国のプロジェクトが改めて立案され、実行されています。事実上、公共事業のお金が投じられます。町役場など公共機関が元の機能を取り戻せば、関連事業が浪江町に戻り、そうすれば出張者が増え、ホテルなど宿泊施設が戻ります。サービス業の雇用が再び生まれ、町全体の雇用の裾野が広がっていきます。浪江駅前から歩き始めて驚いた街の明かりも個人の家だけでなくゼネコンが従業員の寮として使用している建屋が目立ちます。短期的に仕事を求めて浪江町を訪れる人も増えているのでしょう。建設関連の寮生活をする人も増えているのではと推察します。浪江駅に降りて驚いた明かりにも、生まれて育った土地で再び暮らす住民、仕事を求めて浪江町に住み始めた人、いろいろな生活を反映した輝きがあります。生活関連の情報を見ても、分別ゴミなどの日常の生活に関した問題点が多く指摘されていました。でも、それはどこの町でもあることです。私には生活が戻ったという印と見えました。

ホテルの部屋に入り、荷物を置いてベッドに横になります。さすがに疲れを感じます。ホテルの隣にあるコンビニで夕食を済ませてしまおうかという気持ちが浮かびます。居酒屋が集まる浪江駅周辺に戻るには再び20分間以上歩かないといけません。帰り道は真っ暗だし、酔って慣れていない道を歩くのは怪我するリスクがさらに高くなります。ただ、ホテルの部屋は国道6号線の脇にありますから大型トラックが走り抜ける騒音がまともに部屋に飛び込んできます。「帰りの足元が不明のままで歩いて危ない」「そんなことよりもしらふのままでは眠れない」とあれこれ考え、結局は初志貫徹。「いやいや、浪江町に宿泊するのは居酒屋へ行くため」と自ら確認し、外へ出て歩き始めます。「帰りはタクシーで」の結論に至りました。

居酒屋は町の息遣いがわかります

なぜ居酒屋に固執するかって?町の息遣いが感じられるからです。本来なら町役場や住民の方と多数お話を聞くのが原則です。しかし、新聞社などの名刺はもう持っていませんし、新聞の名刺をかざして話を聞いても最初の方は”公式見解”が続きます。そんなことよりも居酒屋で何気ない会話を聞いたり、話したりする方が胸の内にこもっていた吐息を素直に感じられます。昨年訪れた水俣市での経験が忘れられません。偶然に入ったお店でたまたま近くに座ったお客さんと板前さんら一緒に雑談しながら、最近の水俣の空気を知ることができました。

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