賃金はなぜ上がらないのか ① 日本の未来が見えない、だから人に投資しない
賃金はなぜ上昇しないのか。
日本の賃金上昇率は1990年代後半以降、実質的にほとんど伸びていません。政府や政治家、企業経営者、労働組合、経済学者のみなさんが長年さまざまな議論を闘わせているテーマですが、あえて取り上げたいと思います。かれこれ40年間、企業の賃金、人事制度などを取材、執筆してきましたし、賃上げ闘争の主戦場である春闘でも労使双方から本音と建前を聞き、日本経済の皮膚呼吸を感じた記者の1人だったと自任しています。岸田首相がせっかく「新しい資本主義」を掲げて賃上げの流れを後押している時です。野球でいえば外野席からヤジを飛ばすようなものかもしれませんが、長年の取材経験から賃上げについてボールを投げいれてみようと思います。
「地域的なフロスは生じているが、バブルは生じていない」。2005年6月、米国FRBのアラン・グリーンスパン議長が議会証言でバブル経済の危険性について際、経済指標の住宅価格の上昇を例に答えています。フロスとはシャンパンの泡みたいなものです。小さい白い泡がプチプチと音を立ているのが目に映るが、バブル経済の危機を予感するほどではないと解説していました。欲望と疑心暗鬼が渦巻くウォール街からも信仰に近い信頼を背負ったグリーンスパン議長の発言です。誰もが信じるしかありませんでした。もしフロスがバブルへと拡大し始めたら、金融政策などで危機は回避できると考えていました。しかし、その後住宅バブルは現実のものとなり、2008年5月にリーマン・ブラザーズは破綻し、世界経済は大恐慌に陥りました。ことほどさように経済の先行きを予測できませんし、経済政策によって実経済をコントロールするのは難しいのです。
明るい兆しが輝いていますか
かなり強引ですが、この例えを現在の日本経済に引き写してみます。まずフロスが見える人が何人いるでしょうか。ゼロとはいえないものの、経済の体感温度はとても3%の賃上げが実現する熱さがあるとは思えません。残念ながら、景気の先行きを強気に読む取っ掛かりが見当たらないのが現状です。もし、チラチラと輝いているフロスらしきものが見えたのなら、零下20度以下の気温になると空気の水蒸気が凍るダイヤモンドダストと見誤っただけでしょう。
企業経営者の胸の内を察してみます。多くの企業経営者は景気上昇局面に入っても、先行きをあえて慎重に予測して経営計画を練ります。まして日本経済はコロナ禍の影響で冷え切っており、世界の主要各国に比べて景気回復は出遅れているのが実情です。むしろ現在の窮状を打開するためにも景気回復が小さな泡でも良いからパラパラと目の前に見えているなら、強気の経営に舵を切りたいと考えている経営者が多いはずです。岸田首相はコロナ後に向けて過去最大の新年度予算を編成しましたが、実効性がどこまであるのか静観するしかないというのが彼らの胸の内です。
なにしろ2022年の世界経済は予測不可能な状況からスタートしています。コロナ禍はワクチン接種や飲み薬の普及などでなんとか収まりそうな気配を感じるものの、ウクライナ情勢の緊迫化、中国経済への先行き不安など諸情勢は予断を許しません。過去2年間、コロナ禍で打撃を受けた世界経済のネットワークはあちこちで痛み、半導体不足、原油100ドルといった異常事態を生み出しています。
コロナ禍の後が見えていますか?
しかし、世界経済に直面する条件はどこも同じです。日本だけではありません。少なくともこの20年間、日本の賃金が主要国のなかで取り残されたように伸び悩む説明にはなりません。1990年代のバブル経済の崩壊後、日本に充満したデフレマインドが主犯であるといった諸説が広がり、「失われた20年」あるいは「失われた20年」という表現が新聞・テレビはじめ経済学者の間でもよく使われました。
経済は生き物です。業種は違っても企業や役所、フリーランスなどで働く人間は毎日、一生懸命に過ごしています。「失われる時間」などは無いのです。「失われた10年」は政府、企業のトップらが自らの責任を回避する弁解として使われており、責任の所在をあいまいにする便利な表現です。いまでもよく使われる「黒船到来」や「開国」と同じです。イヤイヤ現実を直視する場面で登場する言葉です。
繰り返しますが、経済は絶えず変化します。その中で生き延びる企業はアメーバに似た生物だと思っています。生態系の変化に合わせて変態を続け、2度同じ状況に直面することがないのが当たり前と割り切っているかのような強靭さを併せ持たなければいけません。企業経営者は「失われた10年」と経済評論家のような冷めた言葉を発しているわけにはいきません。
にもかかわらず、賃金はなぜ20年間も上昇しないのか。倒産した企業以外は利益をしっかりと計上し続けているのですから、経営者は猛烈なケチになってしまっただけなのでしょうか。19世紀にマルクスが「資本論」を執筆した当時のブラック企業ばかりになったといことはないはずです。数え切れないほどの経営者のみなさんとお会いした経験からいって、ケチな経営者はそんなに多くはありません。従業員を第一に考えています。それでも、賃上げには足踏みしています。
未来が見えなければ投資はしない、だから賃金も上がらない
その理由 は ?「日本の未来」が見えないからです。自社の製品やサービスに自信はあっても、それが今後20年間収益を上げ続けることができるのか。その見通しが見えない。中小企業といえども、事業は日本国内のみならず、世界を舞台に展開しています。世界経済をしっかりと見詰めています。だからこそ日本の未来が見えないことに気づくのです。
日本の現状を再点検してみましょう。バブルの崩壊以降、国内経済は成長の活力を感じません。1980年代、世界をリードした自動車や電機などの基幹産業は足踏みをします。製鉄などの素材産業も韓国や中国、インドに押され放しです。iPodが登場した時、日本の技術の寄せ集めじゃないかとタカを括っていたら、アップルやグーグル、フェイスブックなどが新しい技術情報サービスを始め、日本企業をどんどん引き離し、視界から消えていきます。当時は世界第2位の経済大国で、まだまだ成長できると確信していまいた。米国や欧州に負るわけがないと心の底から勘違いしていました。
最大の勘違いは日本は戦後の復興期を乗り越えて世界有数の大国に上り詰めたという残影です。確かに経済指標で世界でも有数でしたが、残念なのは第二次大戦の敗戦を乗り越えるために発揮した革新力を見失ったことです。日本はターゲットを見据え、立ち向かう時に素晴らしい成果をあげるのですが、頂点に立った時の自信過剰はまさに情けないほどです。日本経済は「Japan as No1」の称賛を真実と受け止め、バブル経済崩壊後もその甘言に溺れたままでした。バブル経済時の1990年代に世界の頂点に近づいたのは事実です。しかし、日本に世界の未来を創る力がありませんでした。欧米をコピーして追いかける能力は十分にありました。しかし、欧米に代わって「次の未来」を描き、創造する力がありませんでした。
未来に自信を持てない、いえいえ創るものです。
賃金の上昇力を奪う第一の理由です。この20年間、企業経営者が「日本の未来」に自信を見いだせないでいます。賃金の設定は経済情勢に縛られるものではありません。未来に自信があれば、賃金の設定に上昇が反映されます。それが経営者の器量です。20年間も未来を、望みをイメージできず企業経営していたツケは大きいのです。自身と会社の未来にお金を投じる勇気は失い、挑戦する気合も失います。
極端な例ですが、ソフトバンクやキーエンスなど有力な上場企業をみてください。年収数十億以上の社長はじめ1億円を超える役員、数千万円の年収を得る社員が並びます。給与体系は別に法律で縛られているわけではありません。企業トップが未来に自信を持てば、将来のリターンを期待して優れた人材に対して給与を設定します。ただ、欧米に近く給与体系が生まれる素地がようやくできあがっただけです。欲しい人材へ支払う給与は投資です。投資が正しければ、お金を投じた分は利益として返ってきます。だから米国企業は日本が想像もできない報酬をトップに支払いますし、会社幹部への給与体系に設定するのです。直近の話題で言えばアマゾンが人材確保のために社員の年収上限を4000万円に設定したというニュースが流れました。
日本の企業が給与設定でもっと自由に振る舞えれば、2〜3%の賃上げといった固定した議論は消えるはずです。ところが日本の企業は単独で給与体系を設定できない悪習があるのです。例えば親会社や取引先を目安とした給与体系です。自社がどんなに儲かってもグループの親会社を上回ることはできません。取引先に対する交渉を考慮すれば、給与や報酬を外見上大幅に上回るわけにはいきません。実力主義や時価評価といった人事制度の改革が流行しましたが、結局は社内外を見回して決めるがんじがらめの賃金体系が出来上がってしまいました。その硬い殻を今も破ることができません。
日本的経営というあたかも成功の方程式と思われるキャッチフレーズも災いしました。日本的経営の名の下に一つの枠組みにはめ込む「掟」の存在を感じます。革新的な経営を実践する日本企業の輩出を抑え、日本的な給与体系に縛られない制度を創設する動きを抑え込んでしまったのです。政府、経団連、連合が3%、4%の賃上げを連呼しても、それは「気合だ!気合だ!」という空疎な励ましにしか聞こえません。
原稿が長くなりました。続編を書きます。