「石油1ℓは血の1ℓ」日本が改めて問われるカーボンニュートラルへの覚悟
30年以上も前と比べて石油に向かい合う姿勢は変わったのか
ウクライナ侵攻の悲劇を見ていると、こんな30年以上も前のエピソードを思い出さざるをえません。当時のイラクークウェートの両国関係とロシアーウクライナは全く状況が違います。しかし、日本のエネルギー政策の考え方は以前とあまり変わらないのではないかと危惧するからです。世界の原油市場が大幅に高騰しており、日本のガソリン代も一気に上昇しました。国会ではガソリン高騰に伴う補助金の制限を撤廃するかどうかを討議しています。日常生活に大きな影響を与える重要なテーマです。
期待したいのはガソリン代の補助金から次の議論です。ロシアによるウクライナ侵攻がどういう結末を迎えるか全く読めません。確実に言えるのは、石油・ガスの需給関係が大幅に様変わりすることです。たとえ停戦が実現したとしても、ロシアへの経済制裁がすぐに解除するとは思えません。世界の最大級の産油国であるロシアの資源開発が宙ぶらりんになったまま、あるいは輸入しない経済制裁が継続した場合、日本はどのように石油やガスを調達するのでしょうか。ロシアの穴を中東やオーストラリアからの輸入で補えば良いという目先の話ではありません。中国の動向も波乱要因として加えた需給バランスの崩れが続く中、経済成長が鈍ったままでしかも円安が進行する日本が世界からエネルギーをかき集める力があるのでしょうか。
しかも、今回のウクライナ侵攻で欧米のカーボンニュートラルへの対応はどう変わるのでしょうか。攻撃対象となった場合の原子力発電所の危険性がようやく多くの人間に知れ渡りました。発電などに利用するエネルギーのポートフォリオの見直しが始まるのかもしれません。資源を持たない日本はどう自らのポジションを再考し、どう設定するのかをしっかりと討議しなければいけません。30年前に比べて日本は世界の経済大国ではありません。
「石油の1リットルは血の1リットル」。資源をめぐる戦争への覚悟を説明するフレーズで終わりません。日本のエネルギーの未来をどう再構成するのか。その覚悟を失ってしまえば、ガソリン代の補助金はいくら積んでも間に合わないほどの苦境が待っています。