「新しい大熊町」が生まれる 福島第1原発から最も遠い場所に

 福島県大熊町に新しい「大熊町」が誕生していました。映画のワンシーンを見た思いです。

新しい街並みが現在進行形で続く

 新品の町役場、交流センター、温泉もある宿泊施設、レストランやショップが集まる商業施設、町民が住む住宅などが通り沿いにずらりと並びます。まだ完成してから1年程度だからでしょうか、建物が太陽の光を跳ね返し、キラキラ輝いています。通りを抜けると、建設中の住宅が続きます。遠くには大きなクレーンが見え、学校が建設中のようです。大熊町の最寄りの駅、JR大野駅は再開発が始まっていると聞きました。町役場の広場には電気自動車(EV)の充電スタンドが並びます。急速に普及するEV時代を先取りする設備を整え、「新しさ」をアピールしているように映ります。

EVの充電施設が並ぶ

  2022年6月30日、大熊町は特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が解除されました。東京電力の福島第1原発事故以来、立ち入り規制が続いた帰還困難区域で11年3ヶ月ぶりに生活が戻ります。

 実は、初めて大熊町を訪れたのは40年ほど前。北陸の金沢市を拠点に能登半島から若狭湾にかけて建設中の原発計画を取材していました。当時、福島県は原発先進地といわれ、福島第1・第2原発はもちろん、原発立地による地域経済の波及効果などを見聞きしたのです。

大熊町は「原子力最中」の強い印象

 その時に「大熊原子力最中」という和菓子が地元のお土産として販売しているのを知り、正直言って衝撃を受けました。「原発」を食べる発想と受け入れる地元の空気に驚きましたが、お会いした当時の双葉町長は「原発を反対する気持ちが理解できない」と明言していましたから、この最中もあり得るのだと納得したものです。

 東日本大震災の後、年に一回の割合で浜通りから北上して三陸まで海岸沿いをクルマで走り抜けています。前回の訪問は2019年4月。その頃は浪江町は町役場が動き出し、近くのガソリンスタンド周辺にコンビニや名物「浪江焼きそば」を食べさせる食堂が集まり始めたころです。まだイオンもありませんし、道の駅もありません。以前から定期的に浪江町を訪れていましたが、人影を目にする地域は限られていました。

 大熊町は車で向かっても「帰還困難区域」の看板があちこちにあり、ヘルメットに防護服を着た監視員が車の進入をチェックしています。取材許可を取得していませんから不審な行動と受け取られることはしませんし、許されません。

坂下ダム

今は坂下ダムがアイコン?

 このまま大熊町を離れるのはつらい。坂下ダムに向かいます。テレビドキュメンタリーで町役場などを退職した町民のみなさんが坂下ダムなど整備する番組を見たのを思い出したのです。テレビに登場したのは町役場など退職したベテラン町民。若い人にとって放射線は健康に悪影響を与えるかもしれないが、そんな心配はしない自分ら「じじい部隊」が代わりに未来の大熊町に向けてふるさとを守ると話していました。

 坂下ダムにはだれもいませんでしたが、集会所などきれいに整備され、その近くの掲示板には小夜姫という伝説があるのを知りました。美しい娘さんが道に迷い、流した涙が湧水となって流れたというものです。ちょっと悲しい伝説です。

 再び訪れようと思ったのは、大熊町出身の女性の話を聞いたからです。コロナ禍もあって前回から2年間空きましたが、昨年2021年11月、双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館を訪ねました。そこで語り部として登場した20歳代の女性のお話しを聞く機会を得ました。地震発生から原発事故による避難、その後の避難生活などを話してくれたのですが、「学生時代、大熊町出身と言えないのが悔しい」と話していたのが忘れられません。

 大熊町を再訪したら、やはり坂下ダムへ。風景は変わりません。伝説を説明する掲示もそのまま。変化していたのはダムの水量がだいぶ減っているのだけ。天候のせいでしょう。

 新しく完成した双葉町役場を見たので、大熊町役場はどう変わったのかを見ようと思い、クルマで向かいました。坂下ダムを降りて道路に出たら、すぐに大熊町役場の道路表示があり、「こんなに近かった?」と拍子抜け。

新しい大熊町役場

linkる、とてもクール

 道路標識とおりにハンドルを切ると、新品の町役場がありました。そのまま道路をゆっくり走り抜けると、「おおくまーと」とちょっとダジェレ感が否定できない商業施設が現れ、郵便局、集合住宅と続きます。新しい住宅の壁は真っ白なので、輝きがさらに光ります。

 Uターンして交流センターに入ると、「linlる大熊」の看板が目に入ります。「りんくる」と読むそうです。世界的なビジネス交流SNS「LinkedIn」を彷彿させ、とてもクール。温泉がある宿泊施設は「ほっと大熊」。ホッと〜する名前です。

「名称は町民からの公募で決めたんですよ」。交流センターで掲示を眺めていたら、スタッフが教えてくれました。町役場など新設されたのは全く知らなかったので、「この地域に街の施設や住宅を集中させるのですか」とたずねると、「大熊町で福島第1原発から最も遠い平地を選んで建設することにしたのです」と教えてくれました。

 「原発から最も遠い平地」という言葉が心に刺さります。

 「紅葉シーズンの坂下ダムでウォーキングイベントを開催するんですよ」「さっきダムに行きましたけど、かなり落葉して寂しくなっていました。大丈夫ですか?」などと笑いながら立ち話が続きましたが、その方の言葉の端々にはここからスタートだとの思いを強く感じます。

希望を与える伝説に

 「私にできることは町を訪ねて酒を飲むぐらいです」と話すと、とにかく「町外の人を増やすことが大事なのです。ぜひ温泉に入ってください」と笑い返してくれました。

 帰りの長い道中の運転を考え、今回は見送りました。大熊町に短時間でも訪れて良かった。予想以上のお土産をいただきました。坂下ダムで知った小夜姫伝説では流した涙が湧水になりましたが、私にとっては希望を感じる伝説になりました。

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