ポカラ・サランコットの丘へ、村上春樹の「羊をめぐる冒険」ナマステ③
山中の段々畑で、短い歌の掛け合いが響く
だんだん夕暮れが近づいてきました。そんな遠くない距離から女性が歌う声が聞こえてきました。歌といっても民謡とかではなく、和歌を読むような調子で短い歌が響きます。そうすると、違った方向から男性が短く歌います。歌のやりとりが何度か続きます。「あれ、日本の和歌の原点ってこんな感じだと聞いたな。
こうした山中から生まれたのか」。高い木に囲まれた山ではありませんが、周囲は低木などで覆われ一緒に歩いていた相手も少し離れたら見失うかもしれません。農作業などの途中で声を掛け合いながら相手を確認し合うのでしょうか。歌の内容はわかりませんが、男女の思いを伝え合っているかもしれません。「ああ、サランコットの丘を直下目がけて降りてよかった」。
と思ったのも束の間、突然、若い男が現れました。「このままじゃ夕方まで麓のペワ湖まで降りられないぞ」と言っているようです。事実、帰り道の方向はなんとなくわかるのですが、湖まで連絡しているのかわかりません。万が一でも山中で夜を迎えるわけにはいきません。
若い男は薄笑いを浮かべながら「お金かなんか貴重品をくれれば、道を教えてやるよ」と言っているようでした。「金を持っている」と言ってしまえば、よりヤバイ状況になるかもしれないので、「ここのバッグに入っているモノでお礼をするよ」と答えます。彼はついて来いとばかりにスタスタと歩き始めます。
ここに道があるのかと思う雑木林に入り込むのですが、背中を追っていくと道があります。地元の人は違う。途中、集落でお茶を飲むかなどと言いますが、夕方が迫っていることもあって帰り道を急ぎます。それでも1時間以上かかって麓近くまでたどり着きましたが、サランコットへの散歩がネパールの山中を抜ける旅に様変わりしてしまいました。
山中で道案内の若い男に会う 「ここから先は追加のお礼が欲しい」
彼はもう一度、交渉し始めます。「ここから先はもっと歩くのが難しい。追加のお礼がないと案内はここまで」。目の前には稲作の水田が広がります。ペワ湖はもう近くにあるのですが、この水田地帯を渡るのが大変なのです。私は中学校時代、野球部員として毎朝毎夕、校庭を囲む田んぼに入った軟式ボールを拾っていました。その私でも歩けないのです。ネパールの水田はふんわりと周囲の土を固めた感じで、水田の脇に足を乗せるだけで崩れてしまうのです。
帰り道は教えて欲しい。しかし、このままお礼の繰り返しを続けていたら、背負っていたバッグの中身がなくなると半ば本気で心配します。しょうがない。夜間の歩行用に持っていたペンライトをお礼に渡し、「これから先は独りで行く、案内はもういらない」とはっきり告げます。
彼は独りで帰れるのかと捨てセリフのようなことを言って去って行きました。すぐに姿が消えたのには驚きました。結局、私は足場がしっかりした帰り道は見つけられませんでした。水田の端はしを崩しながら水田地帯を抜け、宿泊先のゲストハウスに着いた時は午後8時を過ぎていました。