• HOME
  • 記事
  • Net-ZERO economy
  • 渋谷「100年に1度」の開発と言うけれど、街はカオスのまま、イノベーションはどこ

渋谷「100年に1度」の開発と言うけれど、街はカオスのまま、イノベーションはどこ

  「100年に1度の再開発」と言われる東京・渋谷の再開発には面食らっています。訪れるたびに迷い、渋谷駅はどこにあるのかといつも彷徨います。大学生の頃、東京・渋谷のセンター街によく通い、朝まで飲み歩いたことはたびたび。街の隅々まで知り尽くしていると思っていましたが、もう半世紀近い前の出来事。「100年に1度」という時間軸で考えると、半分近くも渋谷の街を眺めていたのにこの有様です。

 あまりの変貌ぶりに目眩

 確かに街並みは変貌しています。渋谷駅からセンター街に向かうスクランブル交差点は、世界の人気観光スポットになっていますし、道玄坂や宮益坂はもちろん、PARCOに通じるスペイン坂もオシャレ度が増しています。当時、何か日本の文化と違う輝きとオーラを燦然と放っていたPARCOや西武百貨店は数多あるショッピングビルに埋没。東急ハンズもワクワク感が失われています。昼でも暗い空気に包まれ、独特の香りが漂っていた宮下公園は今、広瀬すずさんが「三井のすずちゃん」としてテレビの画面の中を闊歩し、三井不動産のイメージアップに努めています。やっぱりちょっと苦笑しちゃいます。

 街を歩き回りながら、「渋谷はカオスが充満している」と感じました。意外ですか。「50年前こそカオスだったろう」と思うでしょうね。戦後の闇市、恋文横丁、ラブホテル街など終戦直後の混乱期の香りと街並みがまだ残り、深夜になると泥酔していてもちょっとだけ緊張しなくちゃと目が醒める街でした。

「飲み代がないので・・・」

 毎日のように飲み行ったバーボンウイスキーのバーは宇田川町にあり、ちょっと先には休憩専門の旅館がありました。ある夜、カウンターバーの横に座る若い女の子が突然、お客さんに語り始めました。「私、お金持ってないの。飲み代を払ってくれたら、すぐそばの旅館に一緒に行きます」。あまりにも公然と宣言するので、店内のお客は思わず腰が引けてしまいました。彼女はバーのマスターに「本当にお金を持っていないの」と懇願するものですから、お店のスタッフに「おまえ、一緒に行ってやれ」と指示。彼は嫌そうな顔をしながらもお店を出ました。マスターは「帰ってくるまで、みんなで飲もう」と呼びかけ、結局それから2時間ほど飲み続けました。

 そんな思い出を呼び起こしながら、先日ライブハウス「クラブ・クアトロ」に行ってきました。場所はバーボンウイスキーのバーの隣。50年前、夜はただの真っ暗な空き地でしたが、駐車場になったり椰子の木が生える正体不明のハワイ風レストランになったりとその変貌の歴史を見てきました。ライブハウス「クアトロ」が誕生した時、いつまで続くのだろうと酔眼で眺めていましたが、今ではライブのメッカ。

 そのメッカで聴いたライブは「ティナリウェン」。サハラ砂漠西部の部族トゥアレグ出身者が演奏するバンドで、アフリカ・マリを拠点にしています。自由と孤高を愛するトゥアレグは男性がターバンに全身を包むように衣装を着る姿に魅了され、だいぶ前から好きでした。VW(フォルクスワーゲン)に「トゥアレグ」を冠したSUVがあったので購入しようと考えたほどです。購入寸前、VWが改悪ともといえるモデルチェンジを行い見送りましたが・・・。

クアトロのライブ風景

クアトロのライブに酔い、再び歩き回る

 ティナリウェンが演奏するブルースに酔いしれながら、クアトロを出て渋谷の街を再び歩き回りました。新しいビルがどんどん出来上がっているものの、つまみ食いのような街区開発が目につきます。JR、東急、京王など渋谷に乗り入れる鉄道の駅は格好の良いビルでリニューアルする一方、駅を取り巻く飲食街は相変わらず。

 センター街の向こうにある東急の文化村は開場時、偶然にも東急グループを取材する新聞記者でしたので、よく知っていますが、若者が占めるセンター街がまるで壁のように聳えるため、文化村が担った「大人の渋谷」への変身に失敗しました。若者が主体の街には全くそぐわない東急百貨店本店は閉鎖し、新たな再開発が始まっています。

 小さな田舎の街は100年前の関東大震災を機に人とお店が流入し、発展のきっかけを掴みました。交通のターミナルとして発展に努めた東急でしたが、新興財閥として飛翔する寸前に創業家出身で強烈なリーダーシップを発揮した五島昇氏を突然失い、崩壊寸前の窮地まで追い込まれました。そして息を吹き返した後、壮大な再開発構想が始まりました。しかし、「私にもどうなるのかわからない」と東急幹部が苦笑するようにゴールがよく見えません。スタートアップなど新興企業の育成を狙い、「ビットバレー」と称した時もありましたが、どうも空回りしているようです。

ジャンジャン、109に代わる挑戦は

 渋谷の再開発の歴史を振り返れば、100年に1度というほどの節目は関東大震災以外に見当たりません。むしろ、丸の内、大手町、新宿に似合わない奇抜なアイデアと挑戦が街を興隆させてきました。ちょっとサブカル的な文化発信地「ジャンジャン」、日本の若者ファッションを世界にアピールした「東急109」、商品を売るよりもこだわり抜いた美学を追求したPARCOなど。それが渋谷の魅力を生み続けたイノベーションの源でした。

 そのイノベーションが現在の渋谷のどこにあるのか。残念ながら、努力が足りず発見できませんでした。「忠犬ハチ公」を上回るコンテンツはどこにあるのでしょうか。今の渋谷は、造っては壊しを繰り返す正体不明のカオスの街のままなのです。

関連記事一覧