現実と仮想に揺れる原発政策 遠景を眺めて目の前を直視する覚悟の時
経済産業省は11月28日、有識者会議「原子力小委員会」に対し原発の推進方針を提示しました。推進を打ち出している次世代型は廃炉決定の立地で建て替えするほか、原発の運転期間は安全審査などで停止した期間を算入せず、事実上60年超の運転を認める考えです。東日本大震災の福島第一原発事故の後、新増設をせずに廃炉を進める政策をようやく放棄し、かつての推進政策へ軌道修正します。地球温暖化に伴うカーボンニュートラル実現、目先のエネルギー危機を乗り切るため、原発を表舞台の押し上げたい気持ちはわかりますが、現実と解離した原発政策のツケを払うのは国民です。
これまでも、これからも国が主導するのは当たり前
今回の政策転換に驚きはありません。すでにアドバルーンを上げてきた方針をまとめ上げたものです。次世代原発を推進する司令塔を設けるなど政府として取り組み姿勢をより明らかにしていますが、昭和から国家戦略として巨額の予算を計上して原発を推進してきた歴史を考えれば当たり前。長年、原発を取材をしてきた経験から見れば、「これまでも、そしてこれからも国が主導して推進する」と表明したに過ぎません。意図がわかりません。
原発の運転期間は原子炉等規制法で「原則40年、最長60年」と定められています。今回は、東日本大震災後の原子力規制委員会による安全審査や、裁判所の仮処分などで停止していた期間を運転期間から除外する考えを示し、事実上運転期間は60年を超えることが可能になります。しかし、規制委員会は安全審査に責務を持つが、60年超には無関係と主張していますから、万が一の場合は誰が責任を取るのでしょう。
経産省は国が前面に立って原子力政策を進めるため、原発が立地する地域を支援するチームを創設し、避難計画の策定なども後押しする方針を示しています。これまで国が行なってきたことと何が違うのか、何が新しいのか。傍目から見る限り、今までと同じです。
次世代炉の実用化の目処は?
次世代炉の立地先を廃炉の建て替えと位置付ける意味はどうでしょうか。原発を新増設するとしても環境影響調査や周辺自治体の認可などが待ち構えており、仮に建設できるとしても10年単位の歳月が必要で事実上不可能です。建て替えなら、すでに自治体が一度受け入れているので次世代炉の建設も相対的にスムーズに進むとの目算なのでしょう。
国民の原発に対する視線は厳しいままです。冒頭の写真は島根県松江市内で見かけた看板です。中国電力が進める島根原発に対する警鐘として掲載しているのでしょう。原発は推進、反対双方とも意見が強く、互いに交じり合うことがほとんどありません。島根原発に対する懸念を表す看板を強調する考えは毛頭ないのですが、多くの松江市民ら周辺自治体の住民が不安を感じているのは事実で、福島県、島根県に限定した話でもありません。政府が昭和の頃のようにゴリ押しできる時代ではないのです。
しかも、次世代炉の実証試験や本格的な炉として稼働するまでの安全審査などを考慮すれば、どのぐらいの歳月がかかるのか想像できません。政府の仕事は数十年、100年の計に立って進めるのですから、目先に捉われることはないのですが、現在のエネルギーを巡る状況や人口減少が加速する日本の現状を考えれば、昭和のころから同じ発想で進めるエネルギー政策、とりわけ原発推進の旗を振り続けることに疑問が残ります。
投資は原発よりも再生エネや代替燃料へ
当面は再生可能エネルギーとして太陽光や風力、さらに水素やアンモニア・メタンなどを代替燃料として普及する政策を進めざる得ません。次世代炉の実用化に目処がついた頃、再生可能エネや代替燃料が主電源としての地位を固めていると考えるのが自然です。日本経済の成長力や投資余力を考えたら、次世代炉に精力を注ぐよりも再生エネや化石以外の代替燃料に注力した方が結果的に投資効率が良いと考えます。
国のメンツを守るかのような原発政策の推進は現実と近未来から目を背けて、理想とする仮想の世界に向けてお金を浪費するように思えます。仮想の世界を現実にする努力よりも、現実を直視する政策を勧めます。