吉原礼賛 to 9000万円 to 大久保公園 虚像と実像を見極める大事さ

「吉原」が改めて脚光を浴びています。NHKの大河ドラマで蔦谷重三郎が主役として登場し、江戸時代のメディア王と褒めちぎられています。大田南畝、曲亭馬琴、東洲斎写楽、喜多川歌麿ら江戸文化を代表する人気読本、浮世絵などの出版元と大活躍した人物ですし、現代でも通用するマーケティングの発想を先取りしており、多方面から受ける高い評価に異論はありません。

浮世絵ファンだからこそ実像をしっかりと

 浮世絵はもう50年間の大ファンです。高校の頃から浮世絵に関する本を読み漁り、蔦重のことも勉強しました。大学生になって上京してまず直行したのが神保町の大屋書房。アダチ版画が制作した浮世絵に感激しながら、選んだのが東洲斎写楽の「市川鰕蔵の竹村定之進」。とても高価でしたが購入して、母にプレゼントしました。

 しかしながら、浮世絵で数多く描かれた「吉原礼賛」には、なんとなく違和感を覚えます。大河ドラマを持ち上げるため、NHKが専門家を使って蔦重がヒットさせた浮世絵を現代のアイドルを紹介するメディアとして説明していましたが、吉原で働いているのは多くの遊女です。なんと坂のアイドルたちと商売の根本と違います。吉原など置き屋で働く遊女らの平均寿命は20歳前後といわれています。江戸時代と現代を単純に比較するほど”単純”ではありませんが、ぱっと見の姿が実像なのか虚像なのかを見極める視線をNHKなどメディアは忘れてほしくないです。

 鬼滅の刃でも吉原を舞台に取り上げています。物語の進行上、必要な設定だったと思いますが、鬼滅の刃のファンはまだ幼い年齢層も含まれています。吉原や遊女の実相を理解できない層に向かって吉原を身近な存在にしてしまうことはどうでしょうか。

吉原の文化は幕末、明治以降も継承

 日本の文化に「吉原」が染み付いているのは実感しています。幕末の頃、新撰組の志士や明治維新の英雄と呼ばれる人たちが「日本の未来」を語り合う場所は温泉、料亭など。その横には女将や芸妓らが座り、時代を動かす重要な役割を果たします。司馬遼太郎はじめ多くの作家が小説やルポで再現しているのでご存知の方も多いでしょう。

 今も時代を動かすパワースポットです。重要な話を議論する際は、料亭で会食しながら、進める。そんな文化は明治以後も継承され、自民党の有力政治家が会合する場所は今も決まって料亭か高級レストランです。どうして割安な居酒屋でできないのか不思議です。そうした文化的慣習が夜の銀座の繁栄を生んだのでしょう。

 しかし、時代と共に変わらなければいけないものもあります。直近、有名タレントの「9000万円」が示唆しています。訴訟や和解で解決した場合の金額は日本の場合、米国に比べてかなり低いですが、その日本で9000万円はかなりの高額水準。示談内容は不明ですが、「日本の9000万円」が語るのは、米国なら10億円単位に膨れ上がるということしょう。海外相場に比べて低いのもは「吉原礼賛」の文化的な慣習のせいでしょうか。

 大久保公園の風景も忘れらません。学生時代、酒代を少しでも捻出したいので新宿・大久保に住んでいました。深夜まで飲んでも、歩いてアパートに帰られるからです。当然、深夜から未明にかけて大久保公園や暗がりには女性や男性が立っている風景に出会います。手持ちの金は酒代とタバコ代で消えていますから、立っている人たちと会話する余裕はありませんが、どんなに泥酔しても「彼女とは・・・」と肝に銘じた方もいました。でも、今や同じ年齢です。彼女彼氏の思いを当時のように苦笑することはできません。人生、苦いも酸っぱいも甘いのも、色々あることを知っています。でも、若い女性がホスト代などを支払うために、あんなに多人数が大久保公園に集まることにはやはりびっくりします。

 現役の新聞記者時代、1980年代に人気を集めた「ノーパン喫茶」や「のぞきの部屋」を取材した経験があります。どんな人物が仕切り、どんな人々が働き、そこで稼いだお金はどう使われるのか。興味があったからです。今でいう「パパ活」も取材しました。いろんな人と事情を知り、「人間っておもしろいなあ」と笑っているばかりできませんでした。ただ、人間という生き物を少しは知ったと思います。

メディアは虚像を実像と勘違いせずに伝えること

 実は私は勝手に小沢昭一さんを師と仰いでいます。20歳前後から「小沢昭一的こころ」を毎日聴き、もし自分がメディアの仕事に入れたら、この視点は絶対に忘れないと覚悟を決め、「陰学探検」や芸能に纏わる小沢さんの著作を読み漁りました。小沢さんのように学問的な見地を持つほどの見識を持ち合わせていませんが、できるだけ実像と虚像を見極める努力はしたつもりです。

 最近の「吉原礼賛」をみていると、多くの人が勘違いしてしまうのではないか。そんな勘違いな疑問が湧いてきます。人気俳優が吉原で活躍し、有名女優が女郎屋の女将を演じる。スターとまで言いませんが、その華やかさに目を奪われ、格好よく見えてしまうのではないでしょうか。その背景にある実像を忘れ、虚像が本当の実像と見誤ってしまう。現在のテレビや映画の世界と無理やり重ね合わせるつもりはありませんが、それが「9000万円」や大久保公園に繋がりはしないか。蔦重を江戸時代のメディア王と持ち上げるなら、しっかりと吉原なり江戸時代の実像をメディアは伝えてほしいですね。

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