吉野家の親子丼

吉野家 1980年の倒産はワイン が引き金 こちらも習慣性

 1980年7月15日、牛丼チェーンの吉野家が東京地裁に会社更生法を申請しました。負債は120億円。

 いわゆる倒産です。理由はいくつもあります。巷間言われるのは、店舗急拡大に伴う配送コストの増加を抑えるため牛丼に使用するタレをつゆから粉末に変更し、仕入れる牛肉もより安いフリーズドライの乾燥牛肉に切り替えたのが致命傷となったというものです。結果は味の低下。飲食店の味が低下したら、命取りです。

 当時は「牛丼一筋、80年」というCMソングが耳の鼓膜に焼き付くほど流れ、私も学生時代からよく食べていました。お金が無かったころ、「一杯150円」というキャンペーンの時期に2日分の食事として二杯食べていたら、隣の若者から「よく食うなあ」と驚く声を聞いた思い出もあります。

 そんな私が1981年、倒産した吉野家の会社再建を取材することになりました。店内しか知らなかった吉野家の経営や人材の様子をつぶさに見て、経営の台所事情と外食産業の裏舞台を目撃することができました。

倒産に追い込まれたキーワードはワイン

 吉野家を倒産に追い込んだ背景は実はかなり複雑ですが、端的に表現すれば「ワイン」に尽きます。吉野家が食材として使用していた牛肉は牛の横隔膜付近の肉でした。そのころ、現在と全く事情が違って牛肉は輸入規制の対象になっていたのですが、吉野家の素材は輸入規制の対象外だったのです。だから価格も輸入量も吉野家にとって好条件で調達できました。それが他の外食産業との競争力と味を支え、躍進できたのです。

 ところが吉野家が輸入する牛肉は、輸入規制下にある既存の牛肉流通に影響を与え始めます。そりゃそうです。あんなに食べていた吉野家の牛肉の肉が横隔膜付近の牛肉で、輸入規制の対象に入っていなかった事実にとても驚きましたし、それが肉かという疑問は消えません。しかし、吉野家は牛丼として売っていました。その後の経緯はかなりややこしいので省きますが吉野家が採用していた肉は従来のように輸入できなくなり、吉野家が仕入れる牛肉は価格、輸入量ともに中途半端になってしまい、仕入れコストが急増。この増加分を給するために輸入規制の対象外であるフリーズドライの乾燥肉を使わざるを得なくなります。

 店舗のチェーン急拡大と他社との競争激化で経営基盤の収支改善も急務でした。当時の経営者は決断します。牛丼の味の命であるタレを液体から粉末へ切り替え、配送コストを節約すると。もちろん、味の低下は承知しています。牛肉の仕入れがコスト高になってしまった以上、吉野家の強さの根源であるタレに手を入れざる得ませんでした。

 吉野家の従業員の多くは、この決断が致命傷を招いたと考えていました。牛丼のタレはワインなどを素材に使用していました。吉野家の牛丼ファンなら経験があるはずですが、吉野家のオレンジ色の看板を見ると牛丼を食べたくなる。この抗しがたい誘惑は「ワイン」だというのです。当時、牛丼を盛り付けるスタッフは毎日、勤務時間内は牛丼を盛り続けます。端から見たら、うんざりしているのかと思ったら大違いだそうで、毎日牛丼を食べないと気が済まない時期が続くそうです。

 「牛丼を食べた後も次も、また次もと習慣性が生まれる。牛丼をやめられないのはワインを使っているから」と打ち明けます。ワインが含むアルコールの習慣性が牛丼を食べたいという気持ちを反復させるのだというのです。真偽はともかく、吉野家社内の伝説でした。吉野家の強さを支える牛肉とタレの品質を下げてしまっては「牛丼一筋80年」の幟(のぼり)を降ろさざるを得ません。

 最近、経営コンサルタントから吉野家の役員に就任してマーケティング講座でどうしようもない発言した不祥事がありました。こちらは悲劇と言うよりは悲喜劇ですか。マーケティングのプロと称する人材のレベルを疑ってしまう出来事ですが、結果として吉野家が牛丼に続く主力メニューとして新規に投入する「親子丼」の知名度を一気に高めました。

 程度の低いコンサルタントの発言内容を繰り返す考えは全くありませんが、吉野家の強さ、のみならず外食産業の顧客作りはいかに「明日、また食べに来よう」と思わせるが大きな要因になっています。習慣性あるいは中毒性という表現は適正ではありませんが、そう誤解してしまうほどの「おいしいものを食べる幸福感」を提供するのが外食産業の経営の真髄です。こちらも学生時代に通ったラーメン「二郎」がチェーン展開しているわけでもないのに、東京以外にも広がっているのは「二郎」という味と快感を他で味わえないと信じられているからです。

創業から120年の歴史が教える反省と教訓から「並」の外食産業が学ぶこと

 吉野家は倒産から立ち直り、今や上場企業です。その後も牛の感染症などで経営に大打撃を受け、牛丼一本槍のメニューから塩ジャケとお味噌汁の定食、豚丼などメニューの多様化に努め、店舗運営などで多くの試行錯誤を重ねています。今回の不祥事で奇妙な注目を浴びた新メニューは親子丼ですが、40年以上も吉野家を食べてきたファンとしては吉野家の強さはやはり牛丼に尽きます。

 牛丼一筋80年は牛肉の調達や味の進化に苦しみながら、120年まで延びました。どうしようもない外部のコンサルタントに頼るよりも、自らの歴史を振り返り、そこから浮かぶ上がる教訓を常に忘れていなければ、吉野家はまだまだ「並」の外食産業として生き続けられるはずです。苦しくなったら横隔膜をいっぱいに広げて、息を吸いましょう。かならず目の前に正解が現れます。

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