アラン・ドロンとレナウン 古き良き時代を極め、共に今は歴史に
「D’urban c’est l’elegance de l’homme moderne.」。1970年代、「ダーバン、セエレガンス・・・」とささやくアラン・ドロンの甘い声がほぼ毎日、テレビCMで流れていました。日本語に訳すと「ダーバン、現代を支える男のエレガンス」。当時、アパレル最大手のレナウンが1970年に発売した日本発の高級ブランド「ダーバン」のイメージを体現するキャラクターがアラン・ドロンでした。
1970年代、アラン・ドロンが囁いたダーバン
高校生の頃は意味もわからず、「セレガンス、オムモデム」などと発音して遊んでいました。大学に入り、フランス語を習ってようやく「これが現代の男の優雅さ」と言っているのだと理解し、新聞記者1年目にレナウンのブランド発表会を訪ね、初めてダーバンがレナウンのブランドだと知りました。
レナウンは、「アーノルド・パーマー」はじめ海外の有名ブランドの販売権を次々と取得して成長軌道を突っ走っっていました。何にもわからない新人記者の私は先輩記者に向かって「こんなに海外ブランドを買い集めて、儲かるもんですか」と訊ねたら、「海外ブランドに頼る経営は一度つまずいたら、終わり。だからレナウン自身がダーバンというブランドを創って、次の道を探したんだ」という解説を聞き、納得したものです。
高度経済成長を謳歌する個人消費が拡大し、日本国内のアパレル市場は高級品を軸に伸び続けていました。海外旅行でしか購入できないブランド品を日本国内で販売する戦略は、アパレルのみならず日本人のライフスタイルを変える牽引力にもなっていました。間違っていませんでした。レナウンは1990年代には世界トップクラスのアパレル会社まで成長したのですから。
ブランド依存の危うい経営
それでもブランド頼みの危うさを早くから知っていたのでしょう。経営が成長期に入っている1970年代に自社ブランド「ダーバン」を投入し、事業基盤の修正に取り組む姿勢は賢明でした。その並々ならぬ意欲は発売翌年の71年から世界のトップスター、アラン・ドロンが起用した事実からわかります。自らの経営そのものも「現代に合わせた優雅さ」を纏うつもりだったはずです。
なにしろ、レナウンは日本の消費の象徴でした。1960年代、若い女性向け衣料品のCMソング「レナウン娘」は、誰もが知っているCMソングとなり、「イエ〜、イエ〜、イエ〜」と若者は歌っていました。1980年に誕生した「イクシーズ」は身の回り品も含めたカジュアルなライフスタイルを提案しました。新人記者の時に取材した懐かしいブランドです。
冷ややかに眺めていた先輩記者の視線は間違っていませんでした。新たなブランドを集め、消費者の購入動機を刺激し続ける手法はつまずいてしまいます。打ち出の小槌のようなブランド依存は1度止まってしまうと、逆回転し、赤字を生む小槌に。1980年代後半には息切れが感じられ、1990年代のバブル経済崩壊でついに息が絶え絶えに。
若い世代と遊離
時代の流れを見誤ったこともあります。アパレルを購入する世代交代を過小評価しました。小売業界の主役は百貨店から専門店へ移り、消費を牽引する若い世代が百貨店で高級アパレルを買うことはなく、ユニクロなど手軽なカジュアルウエアを選び始めます。
レナウンは名門の「アクアスキュータム」を買収するなど海外ブランドの拡充を急ぎますが、打つ手が時代の流れと逆行。収益力の高いブランドとしてダーバンを欧米の紳士服に次ぐ地位にまで築きましたが、レナウンの苦境を支えるほどの力はありません。結局は若い男性の手堅いファッションブランドとしての地位を守るのが精一杯。
坂道を転び始めると、誰も止められません。2000年代は経費節約もあって本社は転々と移り、会社の形態もダーバンも含め子会社との統合、分離を繰り返して業績の見栄えを整えます。2010年には中国企業と資本提携して、ついに日本から離れます。ダーバンも2020年、レナウンの経営破綻に伴い小泉グループに売却されました。株式会社レナウンは2024年8月、破産手続きが終了して、創業以来122年の歴史を閉じます。
栄光と陰影はあって当然!?
レナウンの次代を担うはずだったダーバンの象徴であるアラン・ドロンは、レナウンが歴史を閉じる同じ8月、88歳でなくなりました。フランス映画にとどまらず、世界の映画スターとして高い人気を集めましたが、晩年は殺人事件や犯罪組織との関与が噂され、栄光と陰影それぞれが人生のスクリーンに大きく映し出されました。最後まで優雅に生き通す。人間も会社も目指すものは同じでも、なかなか難しいようです。