次代の技術を見極める目を失う

実録産業史 17)自動車 is in the melting pot 溶解する産業

このシリーズは今回で17回目を数えます。「will be in the melting pot」という連載タイトルを掲げてスタートしてから半年ほど過ぎました.。当初は日本経済、いえいえ世界経済の牽引役を果たしてきた自動車産業の栄枯盛衰を半世紀近い時間軸の中で振り返りながら、どう産業が進化、あるいは終焉するのかを疑似ドキュメンタリー風に描こうと考えていました。しかし、地球温暖化の加速に伴い二酸化炭素など温暖化ガスを排出する内燃機関であるエンジンは100年以上にわたる歴史を閉じる運命の日が見えてきました。エンジンに代わってモビリティ(移動体)を担う動力源として電気や水素が注目を集めていますが、生産を担う企業は、自動車という枠を超え、人類が創出した技術を総動員できる能力と資本力が求められています。

現実が連載を追い抜き、坩堝はすでに真っ赤に

10年前、米国の電気自動車メーカー、テスラのカリフォルニア州フリーモントの工場を見た時は正直いってあだ花と侮っていましたが、テスラは世界一の自動車メーカーであるトヨタ自動車を軽く上回る時価総額にまで巨大化しているほか、電気自動車の生産にはソニーやアップルなど世界的なエレクトリニクスメーカーが本気で参入しようとしています。わずか半年の時間軸でみても、ここまで産業の枠を越える動きが加速するとは予想できませんでした。「will be in the melting pot」いわば産業が様々な試薬を溶かし込む坩堝(るつぼ)に飛び込むかのような近未来が迫っている意味を持つタイトルを考案したのですが、すでに坩堝には多くの産業の素が溶解し、新しい産業が創出されようとしています。

今回はちょっと休憩を入れて、1980年代からの自動車産業の出来事を振り返るとともに、2022年にどんなことが起こるのかを遊び心をスパイスに加味して自動車産業の近未来を鳥瞰してみたいと思います。

新聞記者として自動車取材を始めたのは日本の自動車産業が世界の舞台に躍り出た1980年代後半からです。自動車担当としてスタートを切ってから半年も立たずにプラザ合意が突然発表され、急激な円高が始まります。私はちょうど欧州出張を終えて日本に向かう飛行機の機内で眠っていました。ヨーロッパを離れて成田空港に着いて目が覚めたら、ドル円の為替相場は235円から20円下落しています。大した金額ではありませんが、これが為替差損のショックかと実感したものです。

日本経済が受けた衝撃はそんなものではありません。ブラザ合意の前、すでに日米自動車摩擦は炎上しており、トヨタ自動車、三菱自動車が米国での現地生産を相次いで決定したほか、すでに生産を開始していた日産自動車やホンダは生産体制の拡充を急いでいました。そこに急激な円高です。わずか半年で一ドル240円台が150円台になります。米国で現地生産したとしても、日本から自動車部品を輸入していたら割高になり、米国での価格競争力が維持できません。自動車部品メーカーはトヨタなど完成車メーカーを追いかけるように米国へ進出します。

日本経済の空洞化が叫ばれます。それはそうですよ、基幹産業である自動車産業の工場が国内から海外へどんどんシフトするのですから。当然、生産力の低下、雇用など日本経済への不安が広がります。ところが、です。円高不況の不安におののいた日本経済は、日銀の大幅な金融緩和策でいつもなにかバブル経済に突入します。「日本はまだまだ儲かる」。そう勘違いした日本の自動車メーカーは車本来の性能を追求するよりも高級化というレッテルを貼った高価格車を投入します。いわば日本国内と海外輸出の二正面作戦を選択したのですが、1970年代から世界との技術競争力強化を念頭に邁進した日本の自動車メーカーの経営戦略は大きくずれ込み、経営規模だけを追う経営に終始てしまいます。そこへバブル経済の崩壊。トヨタはじめ日本の自動車メーカーはそろって窮地に追い込まれます。

慢心が次代の環境技術を見極める目を失わせる

1990年代後半の日本の自動車産業を振り返ると、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と騒がれた頃の空気とそっくりでした。1980年代、日本企業の経営者は「もう先生役として米国から学ぶことはない」と公言し、東証上場企業の時価総額で米国の国土をそっくり買収できると勘違いした時です。日本の自動車メーカーは米国ビッグスリーの凋落、ドイツを除く欧州自動車メーカーの低迷を目にします。韓国や中国、東南アジアなど新興勢力は技術供与を通じてその実力を知っています。多少転んでも、日本の自動車メーカーが致命傷を負うことはないと考えても不思議ではありませんでした。

致命的な失敗は近未来を読む目を失ったことです。車は3万点以上の部品を組み立てて完成します。命の安全を保証するため、どの部品にも高い精度と耐久性が求められます。確かに日本の自動車産業は世界的にも頭抜けていました。エンジン時代の頂点に立ったのは事実でしたが、地球環境そのものが経営課題として浮上する認識が甘かったのです。かつてホンダのCVCCはじめ日本の環境技術は世界的に高い評価を集めました。トヨタのハイブリッド車もしかりです。その日本の自動車産業が次代の環境技術を見極めることを忘れてしまったのです。

トヨタとテスラの提携解消はあだ花と見切った象徴

トヨタとテスラの提携劇がその象徴でしょう。トヨタは2010年にテスラに資本参加しました。テスラはトヨタとGMが合弁事業を展開したフリーモント工場を手に入れ、トヨタとの提携を通じて自動車生産を学ぶ道を選びました。トヨタは電気自動車そのものの開発というよりも、イーロン・マスクというシリコンバレーのスターと手を組み、米国政府からの様々な圧力をかわす狙いがあったはずです。トヨタは提携から4年後の2014年に株式の一部を売却、その2年後の2016年にすべて売却して提携を解消しました。日米の自動車をめぐる環境が変わったこともありますが、自動車生産の修道者ともいえるトヨタがテスラに電気自動車を作れるわけがない、あだ花で終わると見切ったからでしょう。

電気自動車の未来を読めず、慌てふためく日本の自動車産業。その中で日産が電気自動車に先駆けて突っ走ることができたのはカルロス・ゴーンが大胆に実行した系列切りがあったかです。カルロス・ゴーンは巧みな会計処理に加え、「コストカッター」の異名の通り自動車開発投資など諸経費をばっさりと削減します。当時、急拡大していたハイブリイドなどの環境技術を追いかける余力はなく、対抗上環境にやさしいとされる電気自動車の開発に向かうしか選択肢はありませんでした。

図らずもこの選択が日本の自動車産業の最大の弱点を炙り出します。トヨタはじめ日本の製造業は巨大なピラミッド構造の広い裾野に支えられています。エンジンを例に見ても、シリンダーブロックなど鋳造品、バルブなど高精密品など多くの部品メーカーが生産しています。エンジンを諦めて電気モーターに切り替えたら、戦後70年以上も築き上げた産業ピラミッドは崩れ去ってしまいます。トヨタの豊田章男社長が自動車工業会会長として「550万人がみんなで取り組めばなんでもできる」という広告を打ち、レース用ワンピースを着て水素エンジンの可能性を訴えるのも、産業ピラミッドの維持に懸命だからです。

系列、財閥、「しがらみ」が日本の製造業の負の遺産に

しがらみは産業構造だけにとどまりません。日本経済には財閥や株式の持ち合いなどの「しがらみ」が複雑に絡み合い、依然残っています。例えば三菱自動車はどうですか。三菱財閥で二流扱いされ、三菱重工業からの独り立ちを夢見た会社です。1990年代後半、その夢は実現したかにみえました。しかし、10年も経過しないまでも、再び三菱のお荷物へ戻ります。そして抜け出そうとした財閥としがらみに助けられ、現在に至ります。苦境時、三菱財閥はどう動いたか。もちろん、事実上の親会社の三菱重工業はじめ三菱商事、三菱銀行などは支援しました。切り抜けます。でも、自動車の未来への布石は打てません。展望を持っていないからです。地球環境など次世代の産業創造が念頭にあれば、グループの三菱電機、親しい関係のホンダなどの力を得て「新しい三菱自動車」の創生に取り組んでいたのではないでしょうか。三菱グループの総力をもってすれば、グーグルやアップル、ソニーだって取り込めたかもしれません。

三菱自動車の阿鼻叫喚はこれから日本の製造業が経験する悲喜劇の序幕に過ぎません。次回からは三菱自動車の七転八倒を描きます。

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