村田製作所 研究開発は世界を睨み、生産は国内でじっくり煮込む 俊敏な変化も忘れない
エクセレントカンパニーとは、自らの経営哲学を信じ、周囲の騒音に惑わされずに実践し続ける。こう教えてくれたのが村田製作所です。いつも目に浮かぶのは創業者の村田昭社長の姿です。穏やかな目をしているのですが、強い信念を示す眼光を感じました。話す言葉から大向こうを唸らせるような派手な表現は一つもありません。繰り返すのは地域と一体となって工場を運営し、広げていきたい。町工場の空気が体を包み込んでいました。着実に成果を積み重ね、信頼を勝ち取る。この信念を体現していました。
工場は地域密着
1980年代、村田製作所をよく取材しました。といっても本社ではなく、北陸地方に点在する工場です。石川県金沢市で入社3年目の記者として赴任した私は、勤めていた新聞の主力記事が経済ネタでしたから、村田製作所の動きを追いかけます。当時、村田製作所は石川県にすでに幾つも工場を構え、主力製品のセラミックコンデンサーを生産。業容は順調に拡大していました。村田昭社長は、工場視察で石川県を訪れるため、その機会に合わせて工場などで取材したものです。
いつも素朴な疑問がありました。村田製作所の各工場は、それぞれ会社組織として独立しています。南北に細長い石川県内でも能登や加賀などの地域に分かれて工場がありますから、それぞれの工場は離れ離れに点在しています。それが不思議でした。
すでに大企業となっている村田製作所です。多くの大手メーカーは本社が工場運営に直接関わる経営形態がほとんど。村田製作所はどうして工場ごとに独立法人として分けるのか。石川県はじめ北陸に系列工場を設ける理由は、労働コストを下げる目的と理解していましたが、北陸地方に散らばった「村田」を冠した小規模な工場を管理するのはむしろ手間で、無駄も増えるのではないか。
小鍋のように丁寧に、かつ手軽に変更
村田昭社長の考えは明快でした。小規模とはいえ独立していれば、工場自ら事業採算に目配りし、収益を維持しようとする。従業員のほとんどは工場が立地する地元の住民。兼業農家が多く、工場の雇用は定期的に手に入る貴重な現金収入をもたらします。工場が潰れてしまうなんて滅相も無い。地域密着を謳っているので、村田本社もそう簡単に工場撤収の経営判断はできない。当然、それぞれの工場は高品質の徹底など生産管理に努力する。もし半導体の需要動向が変化すれば、工場が小規模なら生産計画の変更も機敏に対応できる。
村田製作所の経営を「小さな鍋でじっくり料理するとの同じ」と解説する石川県の職員の例えを聞いて納得したものです。石川県内の中小企業では、「小鍋経営」と呼んで自社に取り入れ、経営改善する動きも広がりました。
1980年代は全国の自治体が過熱という表現がつくほど企業誘致を繰り広げている時でした。将来有望な電子部品を開発、生産する村田製作所は全国から文字通り、熱い眼差しを受けていました。石川県は村田製作所の新たな工場建設を取り逃すわけにはいかないと全国でも最大規模の補助金制度を創設します。当時の石川県の商工労働部長は、武藤敏郎さん。その後、大蔵・財務次官、日本銀行副総裁を務めた実力派です。
私は武藤さんを唆します。「新聞1面に掲載されるような企業誘致制度を創設しましょうよ」。最先端技術を持つ企業を呼び込むため、名称は「ハイテクノロジー」の冠を付け、他県の誘致制度との差別化まで提案しました。さすがです。最高額3億円という制度を創設し、名称は「最先端企業誘致」が冠せられました。担当課長が苦笑していました。「日本の法律上、カタカナは付けられなかった」。
この補助金制度は新聞上で大きく報じられました。そして、その第1号適用企業が村田製作所の小松工場の新増設でした。現在の「小松村田製作所」です。
海外生産のライバルに比べ生産・在庫を素早く
その後の村田製作所の素晴らしい経営は説明が不要でしょう。セラミックコンデサーなど主力製品の世界シェアは30%を超えています。アップルなど世界のスマートフォンメーカーから厚い信頼を得ており、スマートフォン低迷の向かい風が吹いているものの、円安の影響もあって株価は2023年初めに比べて3割も上昇しています。2024年3月期は2期連続の減益予想ですが、経営の成長力に疑問を持つ投資家は少ないようです。
その強さの秘密は、主力製品を国内生産する方針を守っていることです。売上高に占める国内生産品は全体の60%も占めます。開発や生産の機密情報を流出する防止する狙いもありますが、日本国内で生産することで需要動向に合わせて機敏に調整でき、在庫抑制も可能になっています。海外生産の比率が高いライバルが生産調整や在庫増に苦しんでいるのと対照的です。
村田製作所の電子部品はスマホ以外に電気自動車(EV)でも需要が急増する見通しです。先行きへの期待感は高まる一方。躍進する原動力が能登半島などで体感した「小鍋工場」だと思うと、なんか楽しいです。