日産・ルノーが教えること④会社が存続する価値とは、EVでも政府はまだAED?

 「日産は10年後、残っているのだろうか」。ふと疑問が湧いたのは1990年ごろでした。

 企業取材を長年続けていると、直観が磨かれてきます。経営陣のみなさんのお話や経営指標を参考にするのはもちろんですが、会社内の空気、社員みなさんの言動、オフィスに張られているポスターや標語などを眺めていると、「ヤバイなあ」と感じる時があります。

「10年後、生き残っているのだろうか」

 新聞記者は的確な記事を書くのが基本。特ダネだけを狙うわけではありません。10年後の未来を念頭に置きながら、数字の変化、経営計画の修正、製品やサービスの品揃えをみていると、「きっと倒産するかも」という予感が湧いてきます。10年後の倒産に向けてさまざまな視点からチェックし、後任の担当記者に引継ぎます。10年後、それが他紙を圧倒する読み応えのある記事として花開くのか、それとも直観が外れて単なる思い過ごしで終わるのか。

 もし日産が倒産したら、確か当時で3兆円規模の負債額。日産を頂点に幅広いすそ野が広がる産業ピラミッドを形成していますから、倒産となれば系列など部品の調達先、従業員・その家族などに影響は及びます。日本経済の基幹を支える企業です。負債総額をはるかに上回る打撃を日本経済に与えることに疑いの余地はありません。

基幹産業の自動車倒産は雇用問題など経済に大打撃

 日産自動車の場合、経営状況がいつも芳しくないので、将来を見通す参考になりません。決して皮肉ではありません。1980年代、新聞1面を飾る海外進出などのニュースの裏では、社長、会長らの内部抗争に塩路一郎氏に象徴される労働組合との闘いなどネガティブに評価する材料が多く、記事のネタに困りませんでしたが、会社経営そのものが良い方向へ進んでいるのかどうか見極めがたいへん。「シーマ現象」と呼ばれるバブル経済を表す高級車が現れるなど世間を沸かす話題は相変わらず多く、新車戦略もうまく転がっている印象でした。

 しかし、日産社内の空気は盛り上がっていません。社員の多くは経営陣や自社の未来を冷めた目で見詰め、「あっちは良くてもこっちが悲惨。日産の未来が見えない」と自動車評論家が語る口調でていねいに解説する人を多数見かけました。日産の経営陣も含めて社内に「この会社を再生しなければいけない」という覚悟があまり見当たりません。もちろん開発、生産や経営企画など現場は必死に取り組んでいます。それでも、危機感が充満している空気が感じられません。「日産が倒産するわけがない」「今は厳しくても、誰かがなんとかするだろう」。

自ら変革できない会社に存続する価値はあるのか

 経営指標は正直です。1990年前後の損益分岐状況をみると、着実に経営体力を失っていることがわかります。1989年の生産能力は290万台でしたが、稼働率は77%。翌年の90〜92年の3年間は80%を超えたものの、生産能力の増強で19943年は296万台を超えたため、70%を切り、94年は60%を割り込みます。当然、93年度、94年度は営業赤字に転落しています。連結当期利益でみれば、92年度からルノーと提携する99年度までは96年度を除けば赤字が連続します。

 生産能力が増えているのに、生産台数が減り続けていけば製造業は潰れます。工場は突然、増えるわけではありません。増産投資を決定した時に10年後を見えているはずです。でも、過去の残影が日産の背中を惰性のように押し続け、誰も抗うことができません。

 「10年間、自ら変革できない会社が未来にも存続する価値があるのだろうか」。会社再建を取材していると、いつも素朴な疑問に直面してしまいます。日本経済、雇用問題など破綻による被害の大きさを考えれば、日産は救済されなければいけない会社です。でも、会社経営だけを直視したら、果たして存続することは是なのか。救済するために費やすエネルギーを新しい産業育成に振り向ける方が日本の未来のためではないか。

ルノーも日産と同じ道を走る

 ルノーにも同じ思いが消えません。1985年、パリ郊外の工場を取材で訪れました。ルノー発祥の工場です。驚きの連続でした。まず工場が汚い。床には労働組合がばらまいたビラが散乱したまま。そのビラを読もうと取り上げたら、そばにいた広報担当者に「やめてくれ」と取り上げられます。ちょっとだけフランス語が読めましたら、賃金や労働条件の改善を求める内容でした。

 もっと驚いたのは工場のレイアウト。車体の形状に溶接された骨格は一度、工場の天井にまで吊り上げられ、屋上から大きな通路内を通って離れた工場へ運ばれるのです。古い工場レイアウトを利用したままなので、工場の新増設などで仕方がなかったのでしょうが、生産効率を最重視する日本の工場では考えられません。工場を出て通路内を移動する骨格状の車体を眺めて、「ルノーは効率をどう考えているのか」と現場担当者に質問したら、通訳は相手が怒り出すのを察して訳してくれません。唖然としました。

 ルノーの経営状況も空を移動する車体の骨格と同じです。大きな雇用問題に発展しないようフランス政府が支えています。それから10年後の95年ごろからルノーの身売り話が広がり始めました。

EV提携しても常に政府はAEDとしてそばに

 日産もルノーも政府の支援が無かったら、今まで存続できたのでしょうか。繰り返しになりますが、自動車産業は基幹産業とはいえ、自ら変革できない会社が永続する価値はあるのか。今でも悩みます。それは日産・ルノーが資本関係で対等となり、改めて仕切り直して電気自動車(EV)の世界戦略に取り組む「新しい章」へ進んでも、です。気候変動、カーボンニュートラルを新たな救済策のキーワードに置き換わっただけとしか思えない時があります。

 日産とルノーには常に政府という「AED」がいるかのようです。

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