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トヨタとキヤノンが交錯する④ ディスラプターはトヨタ自販 反発力が章男社長の力の根源

 トヨタ自動車の戦闘能力にはいつも舌を巻きます。世界トップの地位をドイツのVWと争う自動車メーカーですから当たり前ですが、多少グクシャクしていても掲げた目標に到達します。到達できないと表明しても、結末は到達します。というか「到達するのです」。

戦闘力にはいつも舌を巻きます

 製品の力は優れています。エンジンやシャシーなど走行性能は欧米のトップメーカーにも劣りません。耐久性は抜群。もちろん、価格競争力で負けるわけがありません。弱点といえば、外観などデザインでしょうか。お世辞にも素晴らしいとはいえません。高級ブランド「レクサス」はまるでスターウォーズの悪役を演じるダース・ベーダーのようですし、プリウスなど小型車は脇を固める戦闘兵です。最近登場した新車も欧州メーカーのボディデザインとそっくりとの指摘がありましたが、もう慣れっこといった風情です。

 1980年代、VWが「fun to drive」と車の走りを楽しむキャッチフレーズを掲げたら、いつのまにかトヨタも「FUN TO DRIVE」を広告に使い、どっちが先なのか迷い、記事を書くときに困った記憶があります。トヨタの凄さは迷いがないことです。「結果は売れること。売れたほうが勝ち」。トヨタの信念は揺るぎません。新型クラウンや初の電気自動車「bZ4X」など最近の新車販売をみても、目の前の課題を蹴散らしながら進む印象が拭えません。

守りの自工、攻めの自販、秩序破りは自販

 トヨタの強さの根源は「トヨタ自動車販売」にあるのではないでしょうか。経営の壁にぶち当たったり、経営戦略に迷いが生まれた時、自販出身の役員が強行突破していきます。あえて言えば、トヨタ自工は守り、自販は攻め。トヨタ自工は開発・生産の技術力が足場ですから、品質保証、安全第一が最大の経営理念です。守りの姿勢に終始するのは当然です。一方、自販は「売れないなら、売ってみせる」。トヨタと同様、天下統一した織田信長の発想をそのまま体現しています。今流行の言葉で例えれば、ディスラプター。ビジネスの常識を打ち破る破壊者。常識と秩序を重視する自工の体質を自販がいつも横紙破り。

 トヨタは第二次大戦後の経済混乱期、経営破綻寸前に追い込まれ、1950年(昭和25年)に銀行主導の再建策に従ってトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売に分かれます。当時、技術力は日産自動車がトヨタを上回る評価を得ていましたから、その窮地を救ったのは自販でした。銀行主導のまま再建したら、今のトヨタはないでしょう。

 自販の初代社長は神谷正太郎さん。現在の自動車販売店のモデルを構築し、「販売の神様」と呼ばれます。その生き様が、そして後継者育成がトヨタのバイタリティを生み出し続けます。自動車販売にとどまらず、インドネシアで石油開発にも取り組みます。トヨタ自工は「石橋を叩いて渡る」どころか「石橋を壊して、その強さを試してから渡る」といわれていました。ところが神谷さんにとって「危ない橋」はないのでしょう。豪放磊落の枠を超えた経営は、世界のトヨタへ導きます。

真髄を体現したのが奥田碩

 その真髄を体現したかのような人物が奥田碩さん。「飲む・打つ」を愛し、率直な言動で衝突を繰り返し、入社以来長年在籍した経理からフィリピン・マニラへ。事実上の左遷ですが、当時のマルコス大統領との信頼関係も築き、現地の懸案を解決するなどマニラライフを満喫。出張で訪れた豊田英二、章一郎両氏から評価され、本社へ戻ります。

 トヨタの輸出部隊の先頭を切る豪亜部長に就任して、輸出拡大の先頭を走ります。ご本人には何度も取材する機会がありましたが、トヨタとは思えない率直な人物です。当時のトヨタ社内は決して情報を漏らすなと厳命されている空気でいっぱいでした。

 ところが、奥田さんは違います。お互い約束したことは守ろうという前提で、「知っていること」は知っている、「知らないこと」は知らない。明言します。トヨタ社内からも「将来は社長に就任してほしい」との声が広がります。親分肌とはこういう人物のことを言うのかと思い知ったものです。隙を見せながらも、付け入る隙は無い。世界の経営者から高い評価を受けるのもうなずけます

 しかし、トヨタの本流は自工。1982年に自工と自販は合併してトヨタ自動車に復帰しましたが、本流意識は自工出身。自販は傍流。もちろん、自工のはるか上に創業家の豊田一族が存在します。

章男社長はトヨタの経営を描き直す

 1992年、トヨタ社長に豊田章一郎さんの弟の達郎さんが就任した時は、やはりダメかと思いました。その後、豊田達郎社長が体調不良を理由に退任し、1995年に奥田碩社長が誕生します。その後、世界トップの1位を目指して突っ走ったトヨタの経営に説明は不要でしょう。

 現在の豊田章男社長を見ていると、なんとか自らの経営、あるいは創業家・豊田一族の経営に描き直す作業を続けているように映ります。裏返せば自身が社長就任する2009年までの15年間、言い換えれば奥田碩社長以降の経営を神棚に上げて、「豊田家のトヨタ」に仕立て直したいのでしょう。神棚はすでに取り払われ、経営そのもののを否定しているとの声も聞こえますが、代わりに豊田家が神棚に祀られてしまったら、トヨタの企業経営はどうなるのか。心配です。

自販を断ち切り、豊田の経営をめざす

 経営破綻寸前にまで追い込まれた1950年以降、トヨタの強さを支えた「自販」の系譜を断ち切ったトヨタを再構築する。それが本当の強いトヨタであると宣言したい。豊田章男さんの一言一句から、胸の内に秘めた思いが伝わります。トヨタの経営のみならず自動車産業の未来を考えながら、レースにも参加する。その精力的な姿から生み出されるエネルギーはトヨタ自販、奥田さんへの反発力が根源だと思えます。

 「トヨタにとって奥田の時代はないのです」とあるトヨタ幹部が話します。豊田章男の時代を次回以降で考えてみます。

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