トヨタとキヤノンが交錯する③ ヤンチャと異能が次代の躍動と強さを生み出す
キヤノンの山路敬三社長は技術者としても経営者としてもヤンチャの分類に入るのではないでしょうか。最近の社長は創業家出身が元気で、生え抜きのサラリーマン出身は優等生のイメージが強く、少々つまらない。山路さんの言動を振り返ると、トヨタ自動車の奥田碩社長を彷彿させ、こんな人物が会社を変える社長になるのかと改めて痛感します。
キヤノンの山路社長はトヨタの奥田社長を彷彿
山路さんは東大理学部で工学博士を取得、1951年にキヤノンカメラに入社しました。歴とした技術者です。中央研究所や事務機事業本部長を経て、1989年に社長に就任しました。社長を退任した後は1995年に日本テトラパック社長にも就いています。キヤノンとは全く別の分野に飛び込んだ理由について「テトラパックは、製品の搬入などで無駄な空間を生まない、外部からの圧力に強い。この素晴らしい設計思想を普及させたい」と説明していたのをよく覚えています。キヤノン社長のほか日経連副会長も務めたキャリアの持ち主です。それでも自らの安住を許さず、常に挑戦しないと気が済まない性格がよく現れています。
日本経済新聞の「私の履歴書」に入社5、6年目の頃のエピソードを披露しています。望遠レンズといえば大筒のような大型でしたが、凹凸レンズの組み合わせで小型軽量化に成功しました。「私は後に『ヤマジ式ズーム』と呼ばれる世界に類のないズームレンズを次々と生み出していった」。文中から「どうだあ」と胸を張っている姿が浮かびます。
面目躍如はキヤノンの稼ぎ頭となる複写機のビジネスモデルを創造したことでしょう。1960年代、複写機のビジネスはコピーすることゼロックスと呼ぶほど世界の複写機市場を支配していたのが米国ゼロックス。同社の特許などに触れない技術とビジネスモデルを創出しました。山路さんは複写機の開発責任者。そのチームで技術開発担当の田中宏さんがおり、田中さんも山路さんに負けずとヤンチャです。
キヤノンの収益モデルを創る
複写機開発の歴史をまとめた「複写機の技術系統化調査」(筆者平賀浩治さん)によると、田中さんは他のメーカーで複写機開発に取り組んでいましたが、業績不振を理由に中止に追い込まれました。田中さんは製品化に苦労しているキヤノンを訪れ、「普通紙複写機を作って見せます」と大見得を切ったそうです。論文筆者の平賀さんは当時、田中さんには具体的なアイデアはなかったはずと見ていますが、ある技術を突破口に「幸運の女神の前髪を掴んだ」と評しています。
当時の社長は創業者、御手洗毅さん。1968年10月に「第三の電子写真方式キヤノンNPシステム」を発表し、年内発売を表明したものの、製品化に苦労して実際の発売は2年後。山路さんは「私の履歴書」で「機械は1台100万円で売り、1枚コピーをとるごとに10円いただいた。これで念願の消耗品ビジネスが実現した」と書いています。ゼロックスが作り上げた複写機ビジネスの道筋をなぞりながら、紙など消耗品や定期的に交換する感光ドラムやインクなどは無料で提供。ゼロックスを追撃します。カセットカートリッジという新しいパッケージも編み出し、割安にコピーしたい中小企業でシェアを広げ、世界の複写機市場に躍り出ました。
「社長らしくない社長」をめざす
山路さんは社長時代もヤンチャします。「社長らしくない社長になる」と明言、キヤノンは大企業病に陥る恐れがあると警鐘を鳴らし続けます。従業員目線を忘れずに常に現場主義を貫きます。さらに「映像から情報へ」「エコロジーのキヤノンへ」を唱え、事業の多角化とともに「21世紀に日本がリーダーとなるべき産業は環境産業」と考え、太陽光の開発・生産に取り組みます。事業採算を無視した無謀さは否定できませんが、2022年の今でも十分に評価される経営理念です。1993年1月に米国の経営誌「ビジネスウイーク」で注目される経営者の1人として選ばれましたが、米国以外では初めてだそうです。納得します。
山路さんはキヤノンを「何事もトップを目指す一位の思想に満ち溢れている」とも表現しています。それが創業事業のカメラから映像機器、複写機などへ裾野を広げながら、営業力と研究開発力を強化する源泉でした。目標に向かって一丸となる強さをもたらす半面、社内から意見や反論を許さない風土を作り出す恐れもあります。「社長らしくない社長」をめざすことで、現場の異能な人材を大事に育て、キヤノンの新しい躍動を生み出す狙いもあります。
キヤノンで異能といえば、酒巻久さんを忘れることができません。1969年にキヤノン入社し、VTR、複写機、情報機器などを手掛け、アップルの総代理店を務めたこともあって創業者のスティーブ・ジョブスと親密な関係を築いていました。アップルから追われたジョブスが設立したのNeXTに出資するなどシリコンバレーに対する感度は侮れません。
キヤノン電子・酒巻久さんもかなり異能
1999年にキヤノン電子社長に就任しましたが、2021年まで社長を務め、その後も代表取締役会長に就いています。子会社とはいえ、キヤノンという大企業で22年間も社長の座にすわり続けるのは異例です。キヤノンを取材する記者の多くは酒巻さんのファンになってしまいます。一見、奇妙とも思える独特の経営哲学を唱え、瀕死のキヤノン電子の現場を鼓舞します。例えば「会社のアカスリ」と呼ぶ徹底した無駄の削減を続け、その代わりに「ダメと思ったアイデアを実践する」を勧め、社員のやる気を尊重し、利益率10%の高収益会社に変えます。目線は山路さんと同じ現場主義。わかりやすい言葉を使って社員と社長の信頼関係を築けば、ダメ元と思われた複写機開発や新規分野進出が成功し、会社は自然に高収益会社へ生まれ変わる。
これがキヤノンの本来の強さでした。