オホーツクのモヨロ人は現代をどう眺めているのだろうか(上)

 網走を訪れたら、立ち寄りたい場所がありました。モヨロ貝塚です。網走といえば、すぐに思い浮かぶのは刑務所。そして目の前にはオホーツク海が広がり、すぐ東には知床半島が横たわります。冬には流氷が押し寄せる雄大な自然。カニなどのおいしい魚介類がたくさん。思い描くイメージはこんな感じでしょうか。でも、今回はモヨロ貝塚。

網走は流氷だけじゃない

 モヨロ貝塚はおよそ1300年前、北海道の先住民族アイヌの以前からオホーツク沿岸に集落を構えていた民族の遺跡です。名前を知ったのは10年ほど前。北海道で小さい頃からアイヌの神話や考え方に染まって育ちましたが、住んだ地域は道南。オホーツクは遠い遠い土地です。アイヌの神謡や和人との戦いの歴史を読んでいても、アイヌ以前の文明・文化を知る機会がありませんでした。

 ある時、仕事の先で「モヨロって知っているか」と尋ねられました。「名寄(ナヨロ)は知っているけど、モヨロは聞いたことがない」と頓珍漢な掛け合いをしたものです。よく考えたら、名寄もアイヌ語の由来。ナヨロがあるならモヨロがあって当たり前。相手は多少呆れ気味に「オホーツクに先進的な文化を持って生活している人々がいたんだよ」。それだけ教えてくれました。

道の駅の対岸に1300年前の豊かさが

 モヨロ貝塚館が見えてきました。JR網走駅から20分ほど港に向かって歩き、川を渡る橋に立つと予想以上に大きな建屋がありました。

 2月の真冬です。川の表面には氷の板状の塊がゆっくりと流れていますが、まだ流氷は接岸していません。それでも観光客のほとんどは、沖合に近づいている流氷に関心が集中。日本はもちろん、欧米アジアのいわゆるインバウンドの観光客は流氷船が出港する道の駅に向かい、駐車場は大型の観光バスがぎっしり。

 モヨロ貝塚は道の駅から川の対岸に位置しますが、全国的な知名度がないせいか、人影が見当たりません。それが幸いしました。

 たどり着いたモヨロ貝塚館は周囲が雪に覆われ、貝塚と思える場所も雪の凸凹で察するしかありません。青森県の三内丸山遺跡のように再現した建屋などを期待していたので、ちょっとがっかり。

 それでも貝塚館の建屋は予想よりも大きいので、館内の見学に期待します。ドアを開けて入館料300円を払い、順路に従ってまず地下1階へ。オホーツク文化の紹介が始まりです。オホーツク文化そのものに対する知識が全くゼロですから「へえ〜、へえ〜」を連発して独り言で驚いていたら、背中から素朴な疑問に対する答えが聞こえてきます。

1人だけの来館が幸運に

 誰だろうと振り返ると、貝塚館のスタッフでした。館内に他の見学者がいないせいか、独りで訪れた私をサポートしてくれるようです。美術館や博物館にヘッドホーンを付けて音声ガイドを聴く有料サービスがありますが、追加料金なしでスタッフがその場で疑問に答えてくれるのです。心の中で「ラッキー!」。

 疑問が湧いたら振り返って質問。「この先のコーナーに展示されていますよ」と言いながらも面倒がらずになんでも答えてくれます。素朴な疑問への答えは次の疑問に繋がり、また教えてもらえます。こんな感じで歴史を勉強できるなんて、幸運以外なにものではありません。

 まずはモヨロのイロハから。モヨロ貝塚に象徴されるオホーツク文化は5〜12世紀にかけて北海道のオホーツク沿岸、千島列島、ロシアのサハリンなどに広がる海洋民族によって形成されました。北海道は9世紀ごろに廃れたようです。

鯨を獲り、鮭や貝類の食生活

 生活は思ったよりも豊か。狩猟民族ですから、丸太舟に乗って鯨やイルカ、アザラシなど獲り、陸地ではヒグマなどを狩りをしています。鯨を捕獲するのは現代でもたいへんです。丸太舟に乗って槍などで獲るなんて想像できません。館内に展示されている槍や釣り針などを見ると、とても精巧な作りです。何隻かで連携するチームプレーで鯨やイルカなどを狩る作戦力は高度な知性を持っている証拠です。

精巧で素敵なデザインが「カワイイ💖」

 貝塚から発掘された土器や装飾が証明しています。縄文土器とは違うデザインで、とても精緻な細工が施され、「カワイイ」と呼んでしまうものばかりです。一緒に館内を回ってくれたスタッフに「これ、今でも売れますよ」と振り返ったら、笑っていました。実際、土器に首回りには木の実のようなアクセサリーが付け加えられ、道の駅の商品棚に並べたら若者らが手に取るはずです。

 住まいも広かった。10畳以上もある住居に数家族が一緒に住んでいたそうです。熊の頭蓋骨をいくつも並べ、敬う空間もあります。ヒグマを神様カムイと捉えるアイヌの信仰に似ています。崇拝に使ったのかわかりませんが、頭蓋骨とは別に彫られた熊の頭はとても写実的です。見る目、それを写しとる技術それぞれが高いのに驚かされます。

 鯨を獲り、鮭や貝類を料理する食生活は、今の生活と変わりません。想像ですが、衣服は毛皮などで製作し、冬の寒さも十分に耐えたはずです。精緻な装飾品を考えたら、日常生活は身も心も豊かだったと思います。

 これだけの食生活なら体も逞しいはずと思い、同行してくれたスタッフにお聞きしたら、「身長は160センチぐらいだったようです」と教えくれました。今の日本人とそう変わりません。

現代との違いは電気が無いぐらい?

 ふと1300年前と現代の違いはなんだろう。「電気が無いぐらいじゃないかな」。網走の向こうには北方領土があり、ウクライナで戦争が続いています。エネルギー危機で電気料金は跳ね上がっています。

 今の世界を見回したら、幸せな生活を過ごしているのは、モロヨ貝塚の人々じゃないかと思えてしまうのは私だけでしょうか。

 ◆次回に続きます。

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