アフリカ土産物語(15) ケニアの港湾都市モンバサとイスラム

 東アフリカ最大の港湾都市モンバサは、金色に輝く美しい日の出を望めるリゾート地であるとともに、アラビア半島やインド、中国との古い交易の歴史があるケニア第2の都市である。イスラム教はじめ多彩な宗教、民族の人々が共存する街から世界を震撼させるニュースが2002年11月28日に放たれた。

モンバサの旧市街

ヨハネスブルグから3000キロ離れたモンバサへ

 その日朝、インド洋に面したリゾートホテルで、イスラエル人宿泊客を狙った同時テロが発生したのだ。私は約3000キロ離れた南アフリカの赴任地ヨハネスブルクからナイロビ行き国際線とケニア国内線を乗り継ぎ、夕刻にモンバサ入りした。

十数人が犠牲となったテロの現場では、自爆した容疑者の車もホテル建物も破壊され、硝煙がくすぶっていた。モンバサの街はにわかにイスラム過激派のテロ組織の拠点として疑惑の目が向けられ、とりわけウサマ・ビンラディンの支援組織「アルカイダ」暗躍の可能性が浮上した。前年の「9・11米国同時多発テロ」への関与を疑われる彼は逃亡中の身だった。

 モンバサは半数余りがイスラム教徒で、大小280のモスクがある。旧市街の路地に入ると、「ブイブイ」と呼ばれる黒いベールを着たムスリム女性の姿が目立った。ソマリア出身者の店が並ぶ一角では、聖戦を呼びかけるビンラディンの写真付き新聞が売られていた。

イスラム、キリスト、ヒンズーが混在する街は「争いと無縁だった」

 だが、あるモスクで「欧米メディアはイスラム教徒を悪人扱いしている」という憤りの声を聞いた。キリスト教徒、ヒンズー教徒も混在する街として発展してきた歴史への誇りか、旧市街近くの16世紀末にポルトガルが建設した要塞の遺跡フォート・ジーザス(世界遺産)でも男性ガイドが「この街では争いとは無縁だった」と唇をかんだ。

モンバサのフォートジーザス

 確かにテロとイスラム教徒を直結させるのは誤りだ。イスラム過激派タリバンの銃撃で瀕死の重傷を負ったノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんもスピーチでこう語っている。「イスラム教は平和を愛する宗教です」。敬虔なイスラム教徒の彼女にとって偏見を持たれるのは心外なのだ。

鄭和もイスラムネットワークを航海に活用

 モンバサには15世紀末、ポルトガルのバスコ・ダ・ガマが喜望峰を経てインドに向かう前に立ち寄っているが、イスラムといえば、これに先立つ14~15世紀に明代の武将、鄭和が大航海を指揮して数回訪れている。先祖が中央アジア出身の鄭和はムスリムの家系で、独自のイスラムネットワークを航海に活用したと言われている。

 モンバサから約100キロ北のマリンディの港からキリンを土産に持ち帰ったとの記録もある。皇帝へ献上する珍獣の姿が中国の神話に出てくる霊獣「麒麟」を想起させ、吉祥と長寿の象徴としてたいそう喜ばれたと伝わる。

モンバサで買ったキリンの絵。珍しいモノクロームのティンガティンガ(東アフリカのポップアート)

現代の鄭和は「一帯一路」か

 そこで話は現代へ。2017年、ナイロビとモンバサ間に中国が建設した高速鉄道が開通した。モンバサ駅構内に立つ鄭和の銅像が深い意味を持ちそうだ。というのは、この鉄道は中国輸出入銀行からの融資で作られ、債務が返済できなければ中国がモンバサ港の運用権を握る可能性が指摘されているからだ。7月11日は中国の「航海の日」だという。歴史上の人物・鄭和にあやかる「一帯一路」という世界戦略がそこに浮かび上がる。(城島徹)

鄭和の航海を題材に、中国で6月に出版された絵本「麒麟的远航(キリンの航海)」(文・唐亜明、絵・小林豊)

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