アフリカ土産物語(24)セネガル大統領の記憶 親日派のインテリ

  アフリカ西端にあるセネガルの首都ダカールはかつてパリから「世界一過酷」なルートを走破する「パリ・ダカール・ラリー」の終着点だった。旧宗主国フランスをつなぐ悪路は植民地時代の苦悩とも重なるが時代は変わる。2001年の米国同時多発テロを受け、アフリカ諸国に「反テロ会議」を呼びかけ、世界を瞠目させたのがセネガル第3代大統領のワッドだった。

ラリーの悪路は植民地時代の苦悩と重なる

  ワッドは1928年生まれ、ダカール師範学校で学び1950年代にフランス留学し、経済学博士号を得た。ダカール大で法経済学部長を務め、5回目の挑戦となる2000年3月の大統領選で初当選した75歳の老獪な政治家だった。イスラム教徒で、フランス人の妻との間に一男一女がいた。

 米国の同時テロの翌月、「アフリカ諸国が共闘するための第一歩」として28カ国の首脳らを集め、反テロ会議を開催した。「単独会見できればニュース価値は高い」と考えた私は大統領側近への食い込みを図った。街で買った生地を洋裁店に持ち込み、会見用にスーツを仕立てた。サファリルックまがいの代物となったが、この珍妙な半袖スーツを身に着け、数日間粘った末に大統領官邸の執務室へと通された。

 笑みを浮かべた大統領の眼光には若々しさがあった。「なぜ反テロ会議を催したのですか?」。いきなり切り出すと、「このテロは人類史の転換点となる。反テロで全世界の人々が共闘しなければならない」と強調した。

街の洋裁店でスーツを仕立てる職人

 「政治、経済で世界をリードするアメリカに対し、独善的だという批判が各地で聞かれる。どう思いますか」。テロ行為の背景を尋ねると、「貧しい人々は傷つきやすく繊細だ」とうなずき、そうした力関係の下で生じる貧困がテロの温床になるとの見方を示し、「米国は貧困との闘いに貢献すべきだろう」と語った。

「日本を見習え」が口癖

 「5度の挑戦で大統領の座をつかんだエネルギーの源泉はどこに?」。話題を変えると、「わっはっは。日本の薬のおかげだよ」とジョークを飛ばし、「かつて見た日本映画の登場人物が『仕事に喜びを感じる』と言っていたが、私と同じだと感じたよ」と答えた。

 「日本を見習え」が口癖で、その理由を「伝統と近代化を両立させ、資源の乏しさを克服して経済発展したではないか」と説明した。趣味は読書で、「ギリシャ、ローマ史が好み」と語る表情から、芸術、文化への造詣の深さを感じた。

ダカール旧市街でくつろぐ人々

 1978年に始まった「パリダカ」はパリをスタートして地中海をフェリーでアフリカ大陸へと渡り、サハラ砂漠をひた走り、約1万㌔離れたダカールに至る冒険ラリーだ。1992年からゴール地点やコースが変更されたが、大会は「ダカールラリー」の名称で続いている。

道なき道を進む苦学生の姿は変わらず

 パリ留学から半世紀後、祖国のリーダーとなったワッドを見て、植民地時代に渡仏して「道なき道」を進んだ苦学生の姿が浮かんだ。にわか仕立ての我がスーツは日本では着るに着られず処分したが、大統領の素顔に触れた記憶は忘れえぬ土産となった。(城島徹)

 

アフリカ土産物語は連載23回で休止していましたが、再び連載を開始します。新たな驚きと感動を楽しんでいただければ幸いです。

 

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