アフリカ土産物語(7) マンデラ追想 獄門島を生き抜いた英雄

ネルソン・マンデラが獄中を過ごしたロベン島

  南アフリカはアパルトヘイト(人種隔離)政策により白人以外の人たちが差別された歴史を持つ。理不尽な仕打ちに抗い、苦難の闘いののち黒人として初めて大統領になったネルソン・マンデラ(1918ー2013)が27年もの獄中生活のうち18年を過ごしたのがロベン島だった。

観光客を乗せてロベン島に向かう小型フェリー

  アフリカ大陸の南西端に突き出た喜望峰に近いケープタウンの港から12キロの沖合に浮かぶロベン島はかつての捕鯨基地で、ハンセン病療養所があった。アパルトヘイト時代は国家反逆罪に問われた政治犯を収容する獄門島として知られた。1999年に世界遺産となり、人種差別からの解放の記憶を伝える現場を訪れる見学者が後を絶たない。

 小型フェリーで本土から40分で島に着いた。振り向くと、青海原の向こうにナイフで切り取ったようなテーブルマウンテン、そのふもとにケープタウンの街が見えた。風光明媚な美しい景観を、囚人たちはどのような思いで見つめたことだろう。

ロベン島から見えるテーブルマウンテン

 博物館となった旧刑務所の案内役を務めるのは元囚人の活動家だった。各棟は回廊でつながり、収監者たちの交わりを避ける構造で、収監者は石灰岩を砕いて採掘する過酷な労働を強いられた。マンデラが寝起きした独房は2メートル四方の狭さで、粗末なマット、排せつ用のバケツが鉄格子のドアから見えた。

今は観光客を出迎える収容所ゲート

 

ロベン島の資料ビデオ

 ほかの囚人と朝食をとり、体操をし、岩を削る作業場となった中庭には、マンデラがともに終身刑の判決を受けて1964年に収監された盟友ウォルター・シスル(1912-2003)と会話する写真がパネルで展示されていた。若いころから何度も逮捕された彼らが1990年に自由の身となった時にはともに70代となっていた。

過酷な境遇の中で変わらぬ精神力はこの世の奇跡

 典型的な差別主義者だった白人の看守との友情を育んだマンデラの姿は映画「マンデラの名もなき看守」でも描かれているが、過酷な境遇で精神をどうやって壊さずに保ち、民主主義の理想を信じ続けられたのか。この世の奇跡に思えてならない。

マンデラが過ごした独房

 全人種が参加した初めての民主的選挙で黒人主体の政府が誕生し、大統領となったマンデラは1994年5月10日の就任式で高らかにこう宣言した。

 「私たちを分断してきた亀裂に橋を架ける時が来た。力を合わせ和解し、新しい世界の誕生に向かおうではないか。私たちは誓う。平和な『虹の国』を建設していくことを!」

 南アフリカに駐在していた私は晩年のマンデラを間近で目撃するたび、その高潔な人柄の深みをリアルに感じた。政治的な集会では往年の闘士さながらの険しさを顔に浮かべたが、子どもたちの前では一転して柔和な好々爺の顔を見せたのである。

 2003年11月7日、半年前に亡くなった同志の名を冠した「ウォルターシスル小児心臓センター」の開設式典に招待された私が見たのは、活動家としても知られたアルベルティーナ・シスル夫人の肩を抱く姿だった。優しくいたわる慈愛に満ちたその笑顔が忘れられない。(城島徹)

※ロベン島の刑務所を紹介する動画

https://artsandculture.google.com/story/WQUhm-e6wopSJw

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