アフリカ土産物語(9)マンデラ追想 スティーブ・ビコと「遠い夜明け」
ネルソン・マンデラ元大統領の囚人番号を冠したエイズ啓発コンサート「46664」で観客の胸を熱くする曲があった。拷問で命を奪われた黒人指導者の存在を世界に伝えたプロテストソング……。反アパルトヘイト(人種隔離)闘争に身を投じたスティーブ・ビコ(1946-1977)に捧げたイギリスのロック歌手ピーター・ゲイブリエルの「ビコ」である。
ピーター・ゲイブリエルが捧げる
ビコは1969年、南アフリカ学生組織を設立。黒人意識運動のリーダーとして、白人による差別を糾弾するだけではなく自分たちこそ誇りを持って精神的に自立すべきだと訴えた。マンデラがロベン島の刑務所に収監されていた時代である。
スティーブ・ビコのドキュメンタリー「BEACON OF HOPE」のビデオ
白人政府から活動を禁止され、4回逮捕、拘留されたのち、1977年8月、南部のポート・エリザベスで逮捕され、裸で20日間手錠をかけられ、頭を殴られ脳出血を起こした。「脳障害の兆候」を指摘した医者の声は無視され、1200キロ近く離れたプレトリアの中央刑務所に12時間かけて移送されたのち、9月12日に独房で死亡した。30歳の若さだった。
政府はハンガーストライキで死んだと発表したが、ビコと親交のあった白人の新聞記者、ドナルド・ウッズが凄惨な傷を負った遺体の状況を報じたこともあり、政府はのちに脳損傷が死因だと認めざるをえなかった。ウッズは命がけで祖国の南アを脱出し、亡命先のイギリスでこの事件と過酷な差別実態を記事で告発し、伝記「ビコ」(1978年)を出版した。
デンゼル・ワシントンがビコを演じる
この本に触発されたゲイブリエルは1980年、自身のLPレコードで「ビコ」を発表。南アでは直ちに発売が禁止されたが、海外のロックファンにアパルトヘイトの状況を知らしめた。さらにウッズの書籍をもとに映画「遠い夜明け(Cry Freedom)」(1987年)が作られ、デンゼル・ワシントン演じるビコの姿が世界を動かしたのである。
ステージ上のマンデラ像とビコの写真
≪77年9月/ポート・エリザベスは快晴/通常の業務だった/取調室619号で……≫
ケープタウンの夜空が夕闇に包まれるなか、スキンヘッドのゲイブリエルが現れ、シンプルで力強いビートに合わせて歌い始めた。背後のスクリーンに生前のビコの写真が映し出されるなか、地元の聖歌隊も加わって「オー、ビコ、ビコ、ビコーズ、ビコ!」と呪文のような合唱が続き、観客は右手の拳を突き上げた。
特設された客席でマンデラは穏やかな表情で聴き入っていた。息子のような年齢の活動家が殺された知らせをロベン島の独房でどう受け止めたのだろうか。のちに彼はビコを「南ア全土で輝きを放った野火だ」と表現し、偉大な闘士の死を悼んだという。
白人優位の思想から非白人の政治参加や居住、結婚、仕事の自由まで奪ったアパルトヘイト政策は1991年に撤廃された。だが、10年余りが経過していた当時も白人少数支配の後遺症は社会の至るところで見られ、黒人の平均所得は白人の7分の1だった。
コンサート会場には黒人の観客がわずか
「夜明けは遠い」と感じさせたのが皮肉にもコンサート会場だ。南ア人口の約8割を占める黒人の観客は1割もいなかった。チケットを望んだとしてもエイズ治療薬と同様で「高くて手が届かない」という声を複雑な思いで聞いた。あれから19年、大金持ちの黒人が増えたと聞くが、ビコが闘う仲間たちに求めた「誇り」は果たして根づいただろうか。(城島徹)