美の猟犬と骨董裏おもて

経営者の魂が生きる大阪の美術館(3) 「美の猟犬」と企業のサスティナビリティ

 安宅産業が倒産に追い込まれたのは1977年。世界的な石油投資案件が命取りだったと知ったのは大学生の頃です。しかし、安宅産業の名は世界的な詐欺まがいの倒産劇よりも、創業家の安宅英一氏が精魂込めたコレクションとして残っています。もしも安宅産業がその後も生き延びたとしても、やはりそのコレクションで日本の文化史に名を刻んだのだと思います。

 安宅コレクションは安宅産業と伊藤忠商事の救済合併を画策した住友銀行が住友グループを巻き込み、150億円を超える巨額資金を大阪市に提供する形で大阪市立東洋陶磁美術館が建設され、散逸を逃れました。「東洋陶磁」は大阪市立とはいえ、安宅産業、伊藤忠、住銀の強烈な思い、きっと3者ともまるっきり違った想いをもっていたはずですが、藤田美術館と並べても良い、企業経営者の思いの丈が込められて誕生した美術館といっても良いかと思います。いかがでしょうか。

 私自身、自動車や商社の取材を通じて改めて安宅産業を巡る伊藤忠商事、住友銀行などからその舞台裏を見聞する機会を得ました。焼き物など美術品が大好きでしたので安宅コレクションには興味がありましたが、安宅英一氏の蒐集をどう理解して良いのかわかりませんでした。先人が築いた莫大な資産を野放図に費やした単なる道楽なのか、あるいは日本の文化史で記憶すべき足跡なのか。一度は「東洋陶磁」を訪れてみたいと考えていました。訪ねたのは10年以上も前のことでした。

創業家のコレクションが安宅産業を倒産させたわけではないが・・

 正直、全く期待していませんでした。巨額を注ぎ込んだコレクションとはいえ、会社経営を放り出して蒐集した所詮趣味の世界じゃないか。金持ちの道楽の延長線と侮っていました。しかも、蒐集の資金は安宅産業からです。取締役会で利益の社会還元と社員の福利厚生が趣旨と決定し、所有権は安宅産業にあるとはいえ、です。

 東洋陶磁美術館を訪れて展示室に入るなり、浅はかな先入観を恥じ入りました。展示品を推し量る審美眼は持ち合わせていませんが、館内を見て回る人の熱と息遣いがいつもの美術館と違うのです。まず一品、一品を見入る時間が違うのです。一つの焼き物を見詰め、身動きしません。この人、全部の展示品を見て回るのにどのくらい時間がかかるのだろう?と心配するほどです。私でさえ、逸品、名品とはこういう作品に与えられる名称なのだと感じ入ります。展示品の前で立ち止まる時間がどんどん長くなります。前へ進んでも、再び戻ってしまう。美術館を出るのは何時になるだろう?そんな心配をしたのは初めてでした。

 展示品は言わずもがな、中国や朝鮮青磁・白磁など傑作ばかりです。なかでも国宝「油滴天目茶碗」は足利義政、豊臣秀次、三井家、酒井家と渡って安宅コレクションに名を連ねた逸品です。安宅英一氏とともに長年、コレクションの蒐集を補佐してきた伊藤郁太郎さんの著書「美の猟犬」に息詰まるシーンが描写されています。

 酒井家の当主と安宅氏が会い、互いに沈黙する緊張感から始まります。東京のパレスホテルでの特別室。酒井家の当主と安宅氏、伊藤氏が会うが、双方とも黙ったまま。安宅氏が口火を切り、「何とかお願いしたいと・・・・」と口ごもりながら切り出すと、酒井家の当主もほっとされた表情で「安宅さんでしたら・・・」と口数少なく答えたそうです。まるで禅問答のようだが、これだけで基本的に纏った、とあります。価格については伊藤氏が「いかほど考えさせて頂きましたら・・・」と申し上げたら、当主からやっと「×××ではと考えております」と意外なほどの妥当な価格を示された、とあります。国宝の売買って、こんなやりとりなんですか?。伊藤氏は緊張し、口も利けぬほど疲労困憊し、安宅氏もしばらく席を立てない状態だったそうです。昭和43年夏の出来事です。

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